2010年10月31日日曜日

チベット人に熱湯をかける中共兵

◆膨張国家、中国の怨念 その21

   チベットが中共に占領されるとチベット人への弾圧が始まりました。当時、人口7万人のチベットの首都ラサに2万人以上の中共軍が進駐し、ラサ市民は住宅と食料の提供を強制され、食糧難と猛烈なインフレがラサを直撃しました。7万人の人が2万人もの兵隊の食料を供給できるわけがないのです。さらにチベットへの支配権を確立するためチベットと中国を結ぶ道路建設が始まり、大量のチベット人が無報酬で強制労働をさせられました。数千人の命が奪われました。また、中国共産党は占領と同時にチベットの青少年に、チベットの宗教、文化、習慣を侮辱し、共産党を賛美する教育を強制したのです。

   チベット人の不満が日増しに高まる中、ダライラマ法王は1954年、北京を訪問し、毛沢東、周恩来、劉少奇、朱徳ら中国首脳と会談しました。このとき中共はダライラマ法王にウソをつき、中国との協調がありうるような示唆をしました。だがその後にチベットでは、人類がかつて経験したことがないような悲劇が襲ったのです。「17条協定」は、名目上チベットの自治を認めてチベットの風俗伝統を尊重する事が確認されていましたが、実際に中共が行った事は、チベット民族文化への徹底的な破壊活動だったのです。中国共産党の悪政、度重なる条約違反にチベット人の怒りは頂点に達していました。中国に近い東チベットでは反乱が続発、これに対し中共軍は見せしめのため、何千という寺院や町を砲撃や爆撃で破壊、寺院の仏像や経典を容赦なく略奪したのです。東チベットのいたるところで中共軍による虐殺が行われました。
そのときの模様を『中国はいかにチベットを侵略したか』(マイケル・ダナム著 講談社インターナショナル)から引用します。

  「妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はそのうえに小便をかけるように命じられた。さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と中共兵に嘲られ、挙句に全員射殺された。おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。
 貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていったりした。経典類はトイレットペーパーにされた。僧院は馬や豚小屋にされるか、リタン僧院のように跡形もなく破壊されてしまった。リタン省長は村人の見守る中で拷問され、射殺された。何千人もの村民は強制労働に駆り出されそのまま行方不明になっていった。僧院長たちは自分の糞便をむりやり食わされ、「仏陀はどうしたんだ?」と中共兵に嘲られた」。

  ヒットラーとは別の次元の人類史上、かつてない残虐さを中共軍は示したのです。

2010年10月30日土曜日

有史以来一貫して独立国だったチベット 

   ◆膨張国家、中国の怨念 その20

   それではチベット史をひもといていきます。

   チベットには約2100年の歴史があるといわれていますが、日本や中国と同じく最初の数百年は神話と史実の境界が曖昧なので、チベットの歴史はソンツェン・ガンポが仏教に基礎をおく王国を築き、文献がきちんと残っている7世紀が有史開始と考えられます。中国では唐王朝が栄えた時代です。その唐王朝をなんとチベットは西暦763年に征服、唐の首都長安を占領し、一時的に唐はチベットの朝貢国になったのです。その後、唐は西にチベットを追い払い、朝貢国を脱しました。

     その後、中国西部から中央アジアにかけては諸民族が興亡し流転を繰り返しましたが、チベット族は自らの支配地域を守り続けました。チベットでは17世紀にダライラマ制度がスタートし、それ以来ダライラマは転生を繰り返して現在では14世に至っています。中国では満州人による清が成立すると清は1727年にチベットの首都ラサに駐蔵大臣2人を置き、現代でいう大使館を開設しました。これをもって現・中国政府はチベットが清の支配下に入った、と主張しますが、大使館を置いた国が中国領土となるなら、世界はすべて中国領土ということになり、文字通り噴飯物です。その後、チベットは英領インドと国境条約を結ぶなど一貫して独立国家として主権を行使してきました。20世紀前半当時、チベットは日本、中国、タイと並んで欧米の植民地化を免れたアジアでも数少ない独立国家のひとつであったのです。

   第2次世界大戦ではイギリス、中華民国がチベットに日本に対し宣戦布告するよう強く求めましたが、チベットはこれを拒否、中立を通しました。日本にとって真に信頼できる国でもあったわけです。

◆中国共産党軍がチベット侵略

   第2次世界大戦終了後、中国本土を制圧した中共軍(中華人民共和国軍、中国人民解放軍)は 1950年10月7日、突如、チベット東部へと侵略戦争を開始しました。チベット国境警備隊と現地の義勇軍が抵抗したものの、武器・人員ともに圧倒的な中共軍を相手に一部部隊は全滅、退却を余儀なくされました。その当時、中共軍は100万の軍勢を誇る一方で、チベット軍は貧弱な装備の8500人に過ぎません。最初から軍事力による勝敗は見えていました。翌年5月、チベットから北京に代表2人が派遣されました。2人はは交渉に赴いただけで、全権大使の資格はなかったにもかかわらず、中共の脅迫により強引に署名させられてしまいました。こうして1951年5月23日、チベットの平和解放に関する十七か条協定が締結されたのです。もちろんこの協定は法的に無効ですが、中共はこれをよりどころにチベットに圧制をひきます。

2010年10月29日金曜日

チベット、ウイグルを侵略

◆膨張国家、中国の怨念 その19


   10月10日付け「華夷秩序を周辺国に押し付け ◆膨張国家、中国の怨念 その8」 で今回の事件の底流をなす中華思想について触れ、「冊封体制を拒否し続けてきたウイグル、チベットは共産中国が成立後、侵略され、独立を奪われました。中華思想の偉大な実践者、それが共産中国なのです」と書きました。ところが元社会党員の方がある会合で、「ウイグル、チベットはもともと中国の領土だ、中華人民共和国が侵略したなんてウソだ。ソ連はともかく中国共産党が他国を侵略するなんてありえない」とおっしゃったそうです。ウイグル、チベットが元来、独立国で戦後、中国の侵略を受け、原状回復ができない状況をお話します。

   少し長くなりますがチベットの現状をサンケイ新聞の24日付記事で引用します。

   チベット族デモも拡大 中国語教育の強制に反発
 
   【北京=川越一】反日デモが続く中国で、少数民族による政府への抗議デモも広がりをみせている。中国語による授業を義務づける教育改革に対しチベット族が反発し、青海省チベット族居住区で火がついた学生による抗議行動が首都北京にも飛び火した。民族同化をもくろむ当局のいき過ぎた教育改革が、漢族への不信感を増幅させている。

    チベット独立を支援する国際団体「自由チベット」(本部・ロンドン)によると、青海省黄南チベット族自治州同仁県で19日、民族学校の高校生ら5千人以上がデモ行進し、「民族、言語の平等」を訴えた。20日には同省海南チベット族自治州共和県で学生が街頭に繰り出し、「チベット語を使う自由」を要求。22日には、北京の中央民族大学でも学生がデモを敢行した。

    英BBCによると、24日には黄南チベット族自治州尖扎県で民族学校の生徒に教師も加勢し、総勢千人以上が教育改革の撤回を求めてデモを強行、治安部隊が出動する事態に発展した。

     発端は9月下旬、青海省が省内の民族学校に、チベット語と英語以外の全教科で中国語(標準語)による授業を行うよう通達したことだった。教科書も中国語で表記する徹底ぶりで、小学校も対象という。

     当局の中国語教育の強化の背景には、中国語が話せないため職に就けないチベット族が少なくないという現状がある。就職難はチベット族と漢族の格差をさらに広げ、それがチベット族の当局に対する不満につながっているのも事実だ。

     しかし、2008年3月、チベット自治区ラサで発生したチベット仏教の僧侶らによる大規模騒乱が示すように、中央政府のチベット政策に対するチベット族の不満、漢族に向けられる嫌悪感は根強い。

     今回の教育改革も、チベット族学生の目には「漢族文化の押しつけ」「民族同化の強要」と映っているようだ。「自由チベット」は中国当局がチベット語の“抹殺”を図っていると主張している。

     同省共産党委員会の強衛書記は21日、黄南チベット族自治州で学生代表と座談会を開き、「学生たちの願いは十分尊重する」と約束した。中国当局が反日デモ同様、教育改革に対するチベット族の抗議デモが、体制批判に転じることについて懸念している状況をうかがわせる。

   いかがでしょう。チベットの現状がよくお分かりになると思います。中国は日本が朝鮮を統治していたときとまったく逆な施策をしています。日本が朝鮮統治を開始したとき、朝鮮では独自文化であるハングル(諺文、朝鮮文字)が消え去ろうとしていました。当時の支配者だった李氏朝鮮が「ハングルは低い文化で無くしてしまえ」と弾圧したからなのです。これに対し日本は「ハングルは朝鮮独自の文化」だとして普及に乗り出し、初等教育で教えたのです。昨年、韓国を訪問しましたが、現在の韓国はハングルのみ使われており、漢字はどの書籍をみても使われておりません。北朝鮮も同じだと聞いています。日本が朝鮮文化を守ったのです。

    文字はその国の文化です。共産中国がチベット文化を圧殺しチベットを漢族化しようとしているのは間違いありません。

2010年10月28日木曜日

利用される孔子ブランド

◆膨張国家、中国の怨念 その18

     共産中国が儒教を復活させる第3の理由は「国際社会に対する孔子ブランドの利用」です。孔子が道徳思想上、有名な人物であることは欧米諸国の人もよく知っています。中国共産党としてはこの孔子のイメージを正面に訴えることによって、中国が偉大な国家であることを周知させようとしているのです。

   その具体的行動の現われが世界的な孔子ブランドを活用した孔子学院の設立です。これについては10月14日付けで書きました。日本では2006年2月、愛知大学と中国政府が、「愛知大学孔子学院」を共同で設立、中国の王毅・駐日大使と同大の武田学長が協定書に調印、発足しました。

   孔子学院が実施している主な事業は「学生、社会人に対する中国語教育の提供」「漢語教員養成プログラム」「中国語能力認定試験、中国語教師資格認定試験の実施」「中国語コンテストの実施」などです。共産主義思想や正面切った儒教は教えてないようです。

  この孔子学院とは、中国政府が2004年から世界で数百校設置を目標に進めている国家プロジェクトです。全世界的な中国語教師の育成、中国文化のPRを目的としています。現地の大学などと提携し、現地の中国語学習者を中心に学生を集めています。教師は主に中国から派遣されています。

   中国政府は孔子学院などを利用して今後数年間で海外における中国語学習者を現在の約2500万人から1億人にする計画です。現在、英語が世界公用語的性格を持っていますが、これに替わって中国語を世界公用語としたい狙いがあるようです。

   これらの孔子学院は「孔子」の名を冠しつつも別に孔子の思想について本格的に教えるわけではありません。いわば「孔子」ブランドの利用であり、この世界四大聖人の名を客寄せに利用しているに過ぎないのです。 中国が国際的地位を高めるためには、経済、外交だけでなく、中国語の普及が欠かせません。中国政府は中国語を英語に匹敵する、あるいはそれに替わる国際言語にする目標を打ち出しています。

   このプロジェクト名を「漢語橋(中国語国際啓蒙)プロジェクト」と言い、中国語の海外普及を打ち出しことで、これを外交戦略とリンクさせています。中国政府内の「国家対外漢語教学指導小組弁公室」という部署がこのプロジェクトを担当しているとのことです。

   一国の言語をこれほど大規模に国家戦略として打ち出している国家は歴史上、中国しかありません。次世代にアメリカに変わる超巨大国樹立を中国が目指していることは識者の共通した見方です。
 
   かつて中国は文革期に「批林批孔」と称して徹底的に孔子と儒教を弾圧しましたが、孔子学院の開設に見られるように今や儒教に対するアレルギーは消え去り、この伝統倫理を自らの外交戦略や体制維持に利用することをもくろんでいることはまちがいありません。

2010年10月26日火曜日

儒教、中華圏の旗印に

◆膨張国家、中国の怨念 その17


   10月21日付で中国が儒教復活に踏み切った第2の理由として「中華圏統合の旗印にする」を挙げました。中国は明、清時代、海禁といって漢民族が国外に出るのを禁じていましたが、中華民国成立とともに漢民族の海外渡航を黙認しました。清末期から中国は戦乱が続き、多くの国民は海外に生活の糧を求めるしか、生存の場所はなかったのです。また政治的弾圧から国外移住を余儀なくされた人々もありました。その行き先はインドネシアなど東アジアの国々だけでなく北米、ヨーロッパ、インド、アフリカとほぼ全世界に及んでいます。

   戦前から日本にもたくさんきて主に物売り業に従事、横浜や神戸には中華街ができたのは皆様もご存知の通りです。移住漢民族のことを華僑といい、中国福建省・アモイ大学南洋研究院の調査によると、2009年時点で中国と台湾以外に住む華人・華僑の総数は4530万人、うち3200万人余りが東南アジアに集中しているそうです。

   一口に4530万人といいますが、これはヨーロッパではドイツ、イギリス、フランスなどなどの一国に相当する人口で、おびただしい数といえます。特にシンガポールでは住民の76.7%が華僑で、本来の地元住民はマレー系の14%しかいません。これ以外はインド系が7.9%、その他が1.4%です。いわば華僑が一国を乗っ取たわけで、漢民族の膨張するエネルギーを感じさせます。

   もちろんこれは華僑が悪いのでなく、戦前、苦力(クーリー・肉体労働者)として英国が漢人を呼び寄せ、働かせたのが原因です。隣国のマレーシアでは国民の25%が華僑で、経済力が強いため、商工業は事実上、華僑が支配しているといわれます。米国には約300万人が居住し、華僑の方が日本人より高い地位を築いているそうです。同国では議会に対する華僑のロビー活動も活発で、人口の1・5%前後に過ぎないものの国政への影響力は大きいとみられます。


   中国人はもちろん香港・台湾にも住んでおり、中国政府がこれら世界の華僑・華人を自国に有利な存在にしたい、と思うのは当然です。そのために中国本土が儒教を大切にしている、という姿をみせ、その影響力を増大させたい、と考えるのは当たり前でしょう。なかでも華僑人口比率の高い東南アジアを中華圏と位置づけ、これへの影響力、なかんずく中華圏統合の旗印、シンボルとして儒教を活用するのは国家政策として十分うなずけます。しかし共産主義と儒教をどう統合していくのか、その統合した姿をこれらの国々にどう理解してもらうのか、疑問は限りなく残ります。

        明日27日は水曜日のため、お休みとさせていただきます。

                  合掌  清雅坊

2010年10月25日月曜日

共産党を脅かす儒教

◆膨張国家、中国の怨念 その16

では中国はこの儒教化によって真の道徳を取り戻せるでしょうか。結論からいうと「否」です。中国は具体的事実は何も発表していませんが、儒教の取り入れ決定は1978年の第11期3中全会、と研究者はみています。それから約30年。中国の腐敗、汚職はますます進行しています。共同通信が流した新華社電によりますと、中国共産党規律検査委員会と監察省は、2009年1~11月に規律違反や違法行為などで処分を受けた党員や政府の官僚らが計10万6626人に上ったことを明らかにしました。このなかには政策銀行、国家開発銀行の王益元副行長(副頭取)や朱志剛元財政次官、黄松有元最高人民法院副院長(最高裁副長官)ら汚職事件に絡んだ高官の処分も相次ぎ、件数でみると1万3858件に上る贈収賄事件を摘発したことになります。

   これを日本に置き換えると人口比から日本なら、10,000人が捕まっているという、恐ろしい数字になります。しかもこれは表面化した事件だけで、実際は国民のほとんどが何らかの形で汚職、腐敗に関与しているのではないか(赤ちゃんも受益者という形で腐敗利益配分にあずかっている)という見方をする人もいます。終戦直後の日本国民すべてが闇物資に関与していた、という事実を思い出します。ちなみに闇物資に手を出さなかった判事は餓死しました。

   しかも財政担当の次官、最高裁副長官、国家を代表する銀行の副頭取というそれぞれの組織のナンバー2が捕まっているのですから、とんでもない話です。特に最高裁副長官は国民を裁く裁判官のナンバー2ですからその影響力は計り知れないはずです。中国通にこのことを話しましたら「中国国民は最高裁副長官がつかまっても当たり前と思っており、ショックはないはずだ」と語っていました。私にはその方がショックでした。

   儒教を復活させても儒教には絶対者がいないため国民の道徳基盤確立にはつながらないのです。儒教は逆に中国共産党の存在基盤さえ脅かす可能性さえあります。孔子の後継者で儒教を大成した孟子は「民を尊しと為し、社稷(国家)がこれに次ぎ、君を軽しと為す」 と説いています。この言葉は中国の現状政治に対する批判そのものといえましょう。徳治政治を理想とし、「覇道」を卑しめた孟子の思想は中国によるチベット、モンゴル占領や中国の外交戦略に対する痛烈な批判になるでしょう。

   人の上に立つ者は徳を備えていなければならならず、君子は自らの持つ徳によって民の見本となり、民はそれに習う事によって政治が行われるとする儒教の徳治主義は、そっくりそのまま中国の現状と共産党や官僚組織の腐敗と悪政に跳ね返ってくる可能性があります。中国地方都市で広がっている反日デモがいつ反政府デモに変わるのか、中国共産党も気が気でないでしょう。儒教の復活は結果的に中国共産党を窮地に追い込む可能性があります。

2010年10月24日日曜日

儒教は絶対者が不在

◆膨張国家、中国の怨念 その15


  (儒教において)「廉」は要するに「清廉潔白」だから、素直に捉えれば汚職などもってのほかとなりますが、いかにして汚職を防ぐか、という具体的な方法論にまで理論化されてはいないのですーと昨日、書きましたら「どう理論化されていないのか、よく分からない」とのご指摘を受けました。

   私も一読しまして、その通りだ、と思いました。そこで本日は「儒教はいかにして汚職を防ぐか、という具体的な方法論にまで理論化されてはいない」ことを具体的に書いてみたいと思います。


   欧米を中心にしたキリスト教国では「人間は神によってチリ、アクタで作られた」と信じています。神の前では人はチリ、アクタと同じ存在なのです。ということはすべての人間は神の前では上下のへだてなく平等です。「そんなことを言ってもキリスト教社会ではかつて奴隷制や農奴制があったではないか」という反論もあります。白人は黒人を人と認めず、動物として扱いました。だから奴隷制が成立したのです。これは後に否定されました。印刷技術が発明されて聖書を庶民でも読むことが出来るようになり、カルビン、マルチン・ルターなどによる宗教改革で農奴は否定され、社会の平等化が進みました。

   キリスト教では「モーゼの十戒」のように「人を殺す勿れ」など具体的に清廉潔白を要求します。これは一種の法です。人間に対し秩序を保つための法律と法律を守らせるシステム、つまり理論があるのです。これが欧米の社会規範となったのです。

   日本では神仏儒の混合宗教の中、神、仏という絶対的存在があり、その前では清廉潔白が必要となります。日本的儒教では天は天空にあるとみなされ、天により拘束されるのは天子だけでなく武士、庶民を含めた社会全体とされました。私が子供のころ何か悪いことをすると「お天道さまが見ているよ」と叱られました。お天道さまとは天のことです。神仏儒の3者は常に人々の行動を見ており、その最終審判はいずれ下される(たとえば閻魔様のように)というわけです。「良いことをすれば富者に、悪いことをすれば畜生に生まれ変わる」という輪廻転生の思想もありました。だから日本社会は清廉潔白を人々に要求します。

   ところが中国、韓国の儒教は天は何者をも拘束せず、ただ天子が徳を失えば易姓革命で次の王朝に交代させられる、ということだけです。前掲を繰り返しますと、「官僚や一般庶民を徳化するのは天子の役目で、天は関与しません。しかし実際には、徳のある天子なんていませんし、あってもその感化力には限界があります。仮に歴代の天子が有徳者だったとしても、側近すら徳化できたためしがないのです。宦官、廷臣といった側近にすら感化力を発揮できず、ほとんどやりたい放題にさせて国政を乱すのが王朝末期のパターンです。天子の徳は側近にすらおよんでいないのだから、あまねく万民を徳化するなどという理論はなおさらおかしい」ということになります。

   天子が清廉潔白を求めても天子の監視能力は限界がありますから官僚はそのスキをついて自分の得になる利権を求めます。天からは監視されませんから好き放題のことをします。これが中国固有の汚職体質となるわけです。「簾」が理論化されていない、というのはそのことを指すのです。

2010年10月23日土曜日

腐敗体質に気付く

◆膨張国家、中国の怨念  その14


   共産中国の腐敗のすさまじさをご理解いただけましたでしょうか。中国共産党も馬鹿ではありません。国家体制の根幹を揺るがす、中国全体を覆ったこの汚職体質に対し、おそまきながらも倫理の低下が国家を崩壊させることに気づいたのです。そこで考えました。どうすれば腐敗、汚職体制を駆除できるのかを。

   いかなる国家もその根底に一定の道徳なり倫理体系なりが無ければ健全な社会は維持できません。道徳が無ければ人間はケダモノであり、倫理無き規範無き社会は弱肉強食の世を現出させます。欧米諸国では国家の基底にキリスト教がありました。日本では神、仏、儒の複合倫理規範がありました。かつての中国では儒教が倫理道徳そのものであったのです。

   しかし中国共産党は文化大革命で古来からの伝統倫理、儒教を徹底的に排撃しました。儒教関係の多くの文物が破壊され、焼却されました。儒教の根絶は必然的に体制の腐敗を促進します。シンガポールの初代首相李光耀は、その自叙伝の中で 「中国の汚職や腐敗の根源は、文革時代に起きた正常な道徳的基準の破壊である」と指摘しています。人治の国である中国にとって犯罪や汚職に厳罰でのぞむ法制度の整備は急務ではありますが、どんなに緻密に作られた法制度も内的な規範である道徳が真空状態では機能しないことにやっと党は気付いたのです。

   彼らは儒教の復活を促進させ始めました。

   しかし儒教を復活させて約30年、でも汚職は絶えませんでした。儒家理論の最大の欠落は清廉の理論が欠如していることだ、と気付かなかったのです。その理論上の欠落が社会の際限のない腐敗の原因となっているということを、党も経営者も官僚も社会も一般民衆もすべてが理解できませんでした。欧米諸国や日本では基盤が精錬であるからこそ社会が成り立っているのです。

   たしかに、儒教というのは「四維八徳」(四維=礼・義・廉・恥、八徳=仁・義・礼・智・忠・信・孝、悌)が基本です。このなかの「廉」というのが、じつは儒教では理論化されていないのです。「廉」は要するに「清廉潔白」だから、素直に捉えれば汚職などもってのほかとなりますが、いかにして汚職を防ぐか、という具体的な方法論にまで理論化されてはいないのです。これが儒教理論の大きな欠点だといえるでしょう。

   儒教思想のなかでいちばんコアの部分と言うのは、天子という有徳者が統率者になって、万民を徳化するということに尽きます。たしかにこれが実現すれば、「廉」の理論化などは必ずしも必要ないでしょう。しかし実際には、徳のある天子なんていませんし、あってもその感化力には限界があります。仮に歴代の天子が有徳者だったとしても、側近すら徳化できたためしがないのです。宦官、廷臣といった側近にすら感化力を発揮できず、ほとんどやりたい放題にさせて国政を乱すのが王朝末期のパターンです。天子の徳は側近にすらおよんでいないのだから、あまねく万民を徳化するなどという理論はなおさらおかしい、ということになります。

  そして、現実に官僚や官僚に支配された社会が従うのは清廉の倫理ではなく、「権」と「利」の論理です。官僚の職務を考えてみれば分ることですが、「権」がなければ官僚職務は遂行出来ないのです。そして「権」は「利」と分かちがたく結びついていますから、清廉の倫理が入り込む余地はありません。官僚、そして官僚に支配された社会の行動原理は「権」と「利」の論理によって成り立っているのであって、天子(現代中国では共産党)による徳化や、曖昧な清廉の倫理で動くものではないのです。

   中国共産党はこの部分に気づかぬまま儒教化を推し進めています。

2010年10月22日金曜日

教師が生徒を殺す

◆膨張国家、中国の怨念 その14

   中国共産党がなぜ儒教を復活させるのか、その最大の理由は「道徳教育の強化と体制維持」にあります。現代中国は官の腐敗と汚職、社会倫理の乱れ、農民暴動の頻発にさいなまれていることは皆様、ご承知の通りです。中央政府役人のみならず、地方政府役人、警察・公安、司法当局、教師、党幹部、公営交通、ありとあらゆる公職に賄賂が横行し、許認可権限を持つ部門は業者と結託して庶民を絞り上げています。

   特に開発担当当局は党、業者とグルになり都市開発を推進、全国土が国有地であることを理由に庶民から無料、あるいは低価格で土地を取り上げ高層ビルを建てたり手抜き高速道を建設し膨大な不当利益を得ています。土地を追い出された庶民は放浪の徒となり社会不安の根本原因になりつつあります。

   また国民を都市戸籍と農村戸籍に分け、農村戸籍の人の都市移住を禁止。職を求めて都会にきた農民を違法を理由に極端に安い賃金で働かせ、場合によっては賃金を踏み倒すなど悪逆非道なことが絶えません。農民が公安に訴えても「訴えた」、ということを理由に逆に農民を逮捕するありさまです。公安は業者から賄賂をもらったり、党に人事異動の権限を握られ、業者と結託した党のいいなりになっているからです。

   この国上げての腐敗の一例をサイト【大紀元】から一部引用します。

              腐敗大国、中国
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2年前に殺害された15歳の息子・廖夢君を最後に目にしたのは、学校に卒業証書を取りに行くところだった。中国広東省仏山市在住の作家・廖祖笙と妻・陳国英さんは、中学生の息子を殺した犯人は誰なのかが分かっている。息子の先生たちだ。息子が殺された原因も分かっている。親である自分たちが、学校側が許可なく勝手に費用を徴収することや、教育当局の腐敗を公に批判したのだ。

 多くの中国人にとっては、社会の腐敗現象は、毎日出会う日常茶飯事の存在。中国国内の腐敗は政府だけではなく、教育現場、商業、農場および工場などあらゆる社会各層に行きわたっている。「ロサンゼルス・タイムズ」紙12月28日付けのマーク・マグニア記者の記事は、中国社会の隅々まで蔓延している腐敗の実態を報道した。

 廖夫婦は、息子が殺害されたのち、死体解剖結果報告を警察側に求めたが拒否された。さらにその後警察当局から絶えず恐喝・嫌がらせをされた。失望した廖夫妻は、息子の死因を自ら調査することにした。夫婦は、証人たちが警察らに恐喝される前に集めた情報から、息子が殺害された晩に、息子のクラスの担当主任、教員2人と保安関係者1人が、息子を襲ったことがわかった。

 廖夫妻によると、学校側が領収書を発行しない3900米ドル(約37万円)に相当する「学校選択費」の徴収に対して、自分たちが公に反対してから学校側は廖一家を敵視し始めたという。これに対して、廖氏はネット上で中国の汚職腐敗や、浪費について批判の文章を相次いで発表した。その後に息子が殺害された。

 一方、廖夢君の死因について、仏山市宣伝部の説明は違った。廖夢君は窃盗したため学校側に捕まえられたが、先生たちを攻撃し、その後自殺を図ったという。しかし、事件発生後、地方政府関係者は廖夫妻に対して、高額の賠償金を条件として息子の死因調査を中止するよう求めた。最初の2万米ドル(約190万円)から、次々と金額を上げ、最終的に提示された金額は廖夫妻にとって数年分の年収の7万米ドル(約700万円)だった。条件は廖夫妻が所持するすべての証拠を処分し、今後は同事件に一切言及しないことであるという。

 廖夫妻はそれを断った。「息子の命でお金を儲けるようなものだ」。


お分かりになりましたでしょうか。学校の先生が生徒を殺すなんて想像がつきますでしょうか。

2010年10月21日木曜日

儒教、共産主義補完の道具に

   12日に予告していましたように毎週水曜日は休刊日とさせていただいています。昨日も水曜日で休刊とさせていただきました。ありがとうございました。中国の反日デモは香港メディアによるとやはり官製デモでした。そろそろ本題に帰って「現代中国共産主義は儒教共産主義だ」というテーマを解説したいと思います。

◆ 膨張国家、中国の怨念 その13

  少し古い話になりますが1979年、曲阜(孔子生誕の地)の孔子廟が再建されました。儒教が宗教なのか道徳思想なのか現代もその見解は分かれますが、「天」の存在を道徳律の前提にしているところからみて、やはり宗教的側面はあると思います。共産主義は宗教を完全否定します。中国共産党も「宗教はアヘンだ」と断定しています。その中国で宗教的側面が濃厚な儒教の総本山ともいえる曲阜孔子廟を復活させるとなると、共産党が儒教を非公式に公認したものといえます。それに相前後して各級学校で儒教経典が公然と読まれ始めました。 知識人・学者の多くが儒教を共産主義より大切なものとして扱い始めています。一部の人は儒教を政治改革の手段として考え、共産主義・民主主義に代わる理念として期待感を寄せているそうです。これに対し中国共産党は何らの締め付けや規制をしていません。

   知識人の中には、はっきりと「儒教を国教とすべきだ」とまで主張する人もいます。国教でなくとも、中国政府と儒教の関係がいかなる形式であれ公式化される可能性が高い時期にきています。もし中国政府と儒教の間に連結が生じれば、これは中国だけでなく、国際関係に途方もない変化をもたらすことになりましょう。

 いま中国政府は儒教を限界にぶつかった共産主義を補完する国民和合の道具にしようとしているのが確実です。色あせた共産主義が広げてしまった心の空間に、キリスト教や国粋主義、法輪功勢力が入り込もうとするのを防ぐという考えです。さらに儒教は中国政府にとって国内用だけでなく反共意識の高い欧米に対する防御兵器にもなりうるのです。

 儒教復活劇は実は当局公認によるもので、中国共産党自体が積極的に推進しています。 その理由は3つ あります。
 
 1、道徳教育の強化と体制維持
 2、中華圏統合の旗印にする(大陸・香港・台湾及び世界の華僑・華人)
3、国際社会に対する「孔子ブランド」の利用


明日はこの伝統的倫理の復活劇について書きます。

2010年10月19日火曜日

つくられた官製デモ

   4日間もお休みをいただき、ありがとうございました。おかげさまで名古屋での生物多様性条約国際会議民間展示物お守り役を十分果たせ、各地のNPO、NGOとの交流も大成功に終わりました。ありがとうございました。本来ならば儒教共産主義の続きを執筆する予定でしたが、この4日間で事情は大きく変わりました。対日デモの発生です。本日は予定を変更、この対日デモの本質を探りたいと思います。ご了承ください。

   ◆膨張国家、中国の怨念 その12

   成都など中国4都市で反日デモが発生、一部では日本車をひっくり返したり、日系スーパーの窓ガラスを壊したりしたそうです。日本メディアはインターネットなどを使った呼びかけに応えた自然発生的デモのように伝えていますが、香港など海外メディアを総合すると、やはり官製デモのようです。官製デモといっても政府が動員をかけたデモではなく、公安や共産党が「デモをしても構わないよ」というシグナルを欲求不満学生などに送り、計画通りのデモが起こりました。しかし勢いづいてしまい、一部は暴徒化したものと見られます。これも政府側からみれば計算通りの暴徒化でしょう。

   中国政府がどうサインを送ったか、日本では 沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件についてし、民間団体「頑張れ日本!全国行動委員会」(田母神俊雄会長)などが16日、東京都港区で中国政府に抗議するデモ行進をし、中国大使館前で抗議文を読み上げました。警視庁によると参加したのは約2800人。特に混乱はなかったようです。私も映像を見ましたが、暴力行為などはまったくなく、整然としたもののようでした。

   中国政府は事前にデモ計画を入手、同じ日に対抗デモを企画したようです。それも海洋とはまったく関係ない内陸部の成都など4都市を選びました。首都北京や沿岸部の大都市上海でデモを許すと反政府デモに転化する恐れがあり、収拾できなくなる、と判断したようです。本物の自然発生的デモなら情報量の多い北京か、人口、大学数の多い上海で起きるはずです。それが海とはまったく関係ない内陸部で発生した理由といえましょう。

   学生側もデモをしたい要因が備わっていました。社会への強い欲求不満です。日本では大卒者の就職率は9割もありますが、中国ではせいぜい6割。北京大学という名門中の名門を卒業しても党や政府にコネがなかったら就職は無理、というのが通り相場です。ましてや成都や西安など地方大学ではせいぜい就職率4割というのが実情です。それも賄賂を贈ったり地方政府とのコネが要求され、民間企業でも党推薦の学生を優先採用する、というのでは学生側も不満が高まります。

   就職問題だけでなく貧富の差による教育差別、学校間格差、貧農に閉ざされる受験制度、無きに等しい奨学制度、アルバイトをしても食えぬ学生生活など日本では信じられないような社会矛盾が学生生活を覆っています。社会への反抗心が起きるのは当然といえましょう。そこに来たのが「反日ならデモをしてもいいよ」という行政当局からのシグナル。憂さ晴らしができる面白い話に飛びつくのは当然です。

   学生にとって「戦前は日本人が住んでいた島」などの尖閣諸島の具体的情報はまったくありません。小中高、そして大学で教えられた反日教育を鵜呑みにしているだけです。各地につくられている反日博物館の影響もあるでしょう。反日なら公安や党からの圧力はありません。13日ごろから行進ルートなどデモ参加を促すネット上の呼びかけがあったと朝日新聞などは報じています。こうして「自然発生的に」デモは発生したのです。しかしいつ刃が政府に向けられるかもしれませんから徹底した監視、規制下で行われたことは言うまでもありません

   我々日本人としては冷静に事態を見つめるのがよいでしょう。日本への実害はまったくありません。日本製自動車がひっくり返された、というのもおかしな話で、中国は外国製乗用車輸入を禁止しています。ひっくり返されたのは日本との合弁事業で中国国内で生産された中国車です。その企業で働いているのは中国人であり生産利益も出資比率に合わせて中国側のものです。日系スーパーも働いているのは中国人であり、商品もほとんどが中国製です。日本側の関わりは経営のノウハウだけ、といっていいでしょう。実害は中国に行くのです。その当たりのことも分からぬ中国のデモは底の浅いものです。

   整然とした日本側のデモ、荒れた中国側のデモ。お国柄が見てとれるようです。 

2010年10月14日木曜日

全世界に孔子学院

◆膨張国家、中国の怨念 その11 

   中華思想が現代中国を広く覆っていることを述べましたが、その中華思想を支えているのが儒教なのです。「共産主義の中国が儒教?」と怪訝な面持ちになる方が多いと思いますが、共産中国の底辺で密かに進行しているのが共産主義の儒教化なのです。そんなことは信じられない、という人が多いと思いますのでサイト「花崗岩のつぶやき」の一節を要約、紹介します。

     儒教的社会主義と儒教的資本主義

   昨日の朝日新聞に法政大学国際日本研究センターの王敏(ワン・ミン)氏が「時流自説」に興味ある記事を投稿されていました.氏の考えによれば反日デモや中国における愛国主義の根底には儒教があるというのです.文化大革命の時代には「批林批孔」というスローガンが示すように儒教と孔子は共産主義のイデオロギーと対立する思想として排斥されましたが,現代中国では,建前は社会主義だけれど儒教の教えが支配的なのだと。

   例えば中国の教育で最初の反日の闘士として教えられるのは清の思想家康有為なそうです.康有為は日清戦争後の下関条約に反対し,当時の光緒帝を動かしいわゆる「戊戌の変法」を行いますが,保守派に追われて日本などで亡命生活を送ります.我々も世界史で康有為は少し習いますが,元々は儒学者なのです.しかも原理主義的儒学者といってよいほどの方です.浅野裕一氏の書いた「儒教 ルサンチマンの宗教」によれば康有為は変法運動の旗手であるだけでなく,「孔子改制考」を著した儒教神学の完成者でもあるらしい.もし中国政府が儒教を好ましくないと考えているならば,このような人物を取上げるとは思えません.ちなみにルサンチマンとは復讐心のことです。

   
    残念ながら朝日新聞の「時流自説」は読んでいませんが、朝日新聞がとりあげるほど事態は進行しているのです。「花崗岩のつぶやき」では「儒教的社会主義」と紹介されていますが、社会学者のなかには儒教社会主義、儒教共産主義という呼び方をされる人も多いようです。その儒教共産主義がなんと世界各地に「孔子学園」を設立しているのです。孔子は儒教の「教祖」なのです。中国政府が出資、運営費も20―30%を負担しています。すでに全世界88カ国に282校も設立されます。

   日本では立命館大学と北京大学の提携によって、2005年に京都に開設された立命館孔子学院が第一号です。その後同学院の東京学堂、同済大学との提携で、同学院の大阪学堂、さらに桜美林大学(同済大学と提携)、北陸大学(北京語言大学と提携)、愛知大学(南開大学と提携)、立命館アジア太平洋大学(浙江大学と提携)、札幌大学(広東外語外貿大学と提携)、大阪産業大学(上海外国語大学と提携)、岡山商科大学(大連外国語大学と提携)、早稲田大学(北京大学と提携)、工学院大学(北京航空航天大学と提携)、福山大学(対外経済貿易大学及び上海師範大学と提携)関西外国語大学(北京語言大学と提携)とつぎつぎ発足しています。文科系だけでなく工学系大学にも設立されるのが特色です。孔子学院は設置認可上において大学別科(専攻科)の扱いで、特例として所定の単位を取得すれば、日本の大学及び中国の大学への編入も認められているのです。

    中国が「純粋な共産主義」であれば孔子の名を付けた学院を世界に展開するはずはないのです。同学院は表向きは中国語、中国文学などを教える、ということになっていますが、儒教や共産主義を教えているのでは、と疑う向きが全世界にあります。中国自体が日本や西欧から後進国として援助を受けているのに中国が出資して全世界に中国を学ぶ学院を設置する意図が分からない、というものです。皆様はどう感じられますか。

   <お断り>またまた休刊のお知らせです。本日より18日まで名古屋、大阪に出張です。名古屋で開かれている生物多様性条約国際会議の民間展示物お守り役がその仕事で、各地のNPOとの交流もあり、とても原稿が書けません。18日までお休みにさせてください。出稿できない不徳を心よりお詫び申し上げます。

      合掌  清雅坊

2010年10月12日火曜日

中華思想、密かに称揚

◆膨張国家、中国の怨念 その10

   儒教、なかんずく朱子学が近代中国をダメにした理由、それは社会の進歩を拒否する思想だからです。儒教といっても時代により、国により、思想家により変化しており、一口に申し上げるほど単純ではありません。いえることは天子(皇帝)、官僚、民がそれぞれ徳を持つならば国家はうまく治まり、天下泰平となる、という考えです。

   それ自体はすばらしい思想なのですが、天下を固定的なものと考え、身分、階級を犯してはならぬ、とします。男尊女卑で重農主義です。商業は悪徳として否定。これをまともに受けた江戸時代の学者・幕閣は「商は詐なり」として流通業を弾圧しました。こうした中では新しい考え方、特に科学技術については医薬を別して進歩するはずがありません。

   対外的には海禁と称して清、明とも貿易を制限しましたし、日本は鎖国をしました。海外との切磋琢磨がなければ国家としての進歩はなく、時代に大きく取り残されていきます。おまけに儒教は中華思想とも大きく重なってきますから「外国文明は野蛮」という意識が常にともないます。ますます唯我独尊に陥ってしまうわけです。

   対内的には「徳をもって統治する」ことになっていますが、何が徳なのかは誰も知りません。「徳、非徳の薄霞」という言葉がありますが、徳の解釈は万人みな異なります。官僚は自分の得になることしかしませんから結果的に圧政が日常化し、民は苦しんで暴動がおきます。

   圧政が行くところまで行きますと天は天子に徳がないと判断し、別の人を天子に立てる、と中国人は考えます。これを易姓革命といいます。隋、唐、梁、宋と中国王朝が変わっていったのも易姓革命です。変な話ですが、中国には中華民国が成立するまで、国という意識はありませんでした。国とは蛮族が持っている統治範囲で、中国は天下の中心、すなわち天下国家だから国ではない、というのです。これでは他国は中国と自国を区別できませんから朝廷名で中国を代表させるしかなかったのです。

   進歩を拒否した結果、近世になって南蛮諸国(欧米列強)に大きく立ち遅れてしまいました。特に軍事面での差が大きく、南蛮が鉄製蒸気船に螺旋線条式元込め砲を装備していたのに対し、清はジャンク(木造帆船)に球形砲弾先込め砲しか持っていませんでした。火薬そのものは中国の発明であるにもかかわらず、儒教の妨げで進歩がなかったのです。

   共産中国は清が敗退した理由を良く知っていました。しかも基本的考え方は共産主義ですから科学技術は積極的に取り入れてきました。しかし中華思想だけはすっぽり身にまとってしまたのです。歴史家は「中国が発展するときは中華思想は後退し、衰退するときは重視される」といいます。唐の時代は国力がおおいに充実していましたから、辺境人を高官に登用するなど中華思想は後退しました。しかし明のように国難が続いた時代は中華思想が幅をきかせていました。

   現代中国は世界第2位の経済大国になりつつあるなど表面的には大国になっています。しかしその実体は日本や西欧などから援助を受ける後進国なのです。富める者と富まざる者との経済格差は天文学的数字になりつつあり、内部矛盾は暴動寸前といっていい状態です。内部矛盾を抑えるため中華思想が密かに称揚されるのは当然といえましょう。尖閣諸島沖の漁船衝突事故が中国政府とって外交カードとせざるを得なくなっているのもその当たりに理由がありそうです。 


   <お願い>毎週水曜日は清雅坊が終日、作務に忙殺される日です。あす13日は出稿できません。お休みとさせてください。なお来週以降も同じです。今後、水曜日は休刊とさせてください。勝手なお願いですが、ご了解ください。

                合掌   清雅坊 

2010年10月11日月曜日

近代化をおこたった清、明

◆膨張国家、中国の怨念 その9

   共産中国がいかに中華思想、華夷秩序、冊封体制に犯されているか、検証してみたいと思います。中国では北の野蛮国を北狄(ほくてき)、東の野蛮国を東夷(とうい)、西の野蛮国を西戎(せいじゅう)、南の野蛮国を南蛮(なんばん)と呼びます。現在の北狄はロシア、モンゴル、東夷は日本、韓国、西戎はアフガニスタン、パキスタン、イラン、イラクです。そして南蛮は欧米各国とインド、アフリカ諸国。中国からみて東にあるアメリカや西にあるヨーロッパの国々が南蛮なのは、かつて南からそれらの諸国が艦隊、商船をもって中国に来航してきたからなのです。

   現在、科学技術を中心にした現代文明では南蛮諸国に中国が大きく劣っていることは中国人自身も認めています。だからこそ近代化に全力を注ぎ、核兵器、大陸間弾道弾、有人衛星を開発してきました。世界初のリニアモーターカーを敷設したのも中国です。しかし対外的に声高く叫ぶことはないけれども中国が世界の中心であることは中国人はかたくなに信じています。それは中国人が主張する中国文明が5000年の歴史を保有するからなのです。5000年の歴史を持つ国はほかにはありません。世界四大文明といわれる国々、地域で文化が断絶することなく連綿と続いているのは中国のみだ、という自信があるからなのです。

   エジプト、チグリス・ユーフラテス、インドの各文明は途中で滅んでしまいました。ギリシャやローマの文明はより新しいものです。中国のみが連綿として文化を伝えている、と主張するわけです。共産中国は霊的なものは認めていませんが、「天」は中国の上に存在している、と確信しているのです。人類文明の継承者は中国だと信じているのです。

   近代に入って列強諸国にやられてしまったのは「清が悪いからだ」と考えます。中国の基本的支配民族は漢民族ですが、近世においては満州人(女真人)がつくった清王朝が中国を統治していました。この清が近代化をおこたり、中国を滅亡の危機においやった、と問題点をすりかえるのです。たしかに清は日本をはじめとする列強諸国に連戦連敗で、漢民族が政権を奪い、中華民国を成立させました。

   しかし清の統治理念は清が滅ぼした明によるものでした。明は漢民族による国家です。清は当初は八旗制という騎馬遊牧民族独特の統治・社会・軍事制度を持っていましたが、多数を占める漢民族の中で生活するうちに次第に独自性が薄れ漢民族の生活、思考様式に染まっていきました。近代化をおこたったのは漢民族の思考様式そのものだったのです。明の思考様式は儒教、なかんずく朱子学によるものでした。近代化への拒否姿勢は明、清に通じたものなのです。

  では儒教、朱子学がなぜ近代化の妨げになったのでしょう。

2010年10月10日日曜日

華夷秩序を周辺国に押し付け

◆膨張国家、中国の怨念 その8

「膨張国家、中国の怨念 その1」で今回の事件の底流をなす中華思想について触れましたが、事態の急変にともない、中華思想解説が中断してしまいました。今回は改めて中華思想について書きたいと思います。

  中華思想は中国の中原(中央)にある天子がすべての中心で、天子が統括する官僚群、その文化、思想が世界の中心であり、人民、周辺国はすべてこれに従わなければならない、という中国中心主義の思想です。世界で最も偉いのが天子(皇帝)であり、その次が内臣(官僚)、その次が外臣(民)、続いて朝貢国、その外に東夷、南蛮など野蛮国がある、という構図です。我が日本などは東夷そのもので、朝鮮は朝貢国という形になります。

  この体制を華夷(かい)秩序と呼びます。華夷秩序とは「中華」と「夷狄(いてき)」の間に取り結ばれる関係で、中国から見た「野蛮民族統治秩序」と目されるものなのです。中華帝国を中心とした華夷秩序は、中華皇帝と周辺国の国王の君臣関係を軸とした統治理念であり、各国国王は中華皇帝の臣なのです。要するに「外交関係」ではありません。現代のような国家関係にあるのでなく、中華皇帝の領土の一部を治めさせていただくのが国王なのです。皇帝の臣下に国王があるのです。

  現代風に書けば国王とは皇帝が任命した「原住民」の「総督」ということになります。総督と皇帝の体制は「冊封」関係と呼ばれ、各国の王は皇帝に「承認」されて、はじめて「正式な王」となる事が出来た、ということなのです。それも簡単には王にはなれません。皇帝に承認された王になるにはまず「臣従」(家来として仕えること)し、中国の制度を「採用」することが必要です。さらに皇帝へ定期的に使節を派遣し、貢ぎ物を捧げる「朝貢」を毎年することが必要となります。

  この体制に従ってきたのが朝鮮であり、「無視」し続けてきたのが日本だったのです。共産中国が成立して以来、何回も中国と交戦してきたベトナムは冊封されたり独立したりの繰り返しでした。北狄と呼ばれた蒙古(モンゴル)、満州(清、女真)は逆に中華帝国を奪い、元、清を建国、自ら中華帝国となりました。冊封体制を拒否し続けてきたウイグル、チベットは共産中国が成立後、侵略され、独立を奪われました。中華思想の偉大な実践者、それが共産中国なのです。

2010年10月9日土曜日

「核心的利益」はすでに通告

◆膨張国家、中国の怨念  その7

   中国の島嶼(とうしょ)奪取のやりかたはひとつのパターンがあります。それは領有権のはっきりしない島、領有権が争われている島に目をつけます。それは過去、中国が何の関わりもない島でもいいのです。距離が遠くてもかまいません。要は実効支配がされていない島に目をつけます。

   次にその島の領有権を主張している国が衰えるか、逆に中国側が優勢になるのを待って国内法を改正し、自国領土と宣言してもっとも近い省市の所属と決めます。さらに関係国をはじめ欧米諸国に国家の領土保全にとって最も重要な「核心的利益」に位置付けたと外交上の圧力をかけます。「核心的利益」とは中国独特の表現で、国家の本質的利益に直結することを意味し、妥協を拒む、というものです。

   そして漁船団や艦艇を派遣、もめごとを起こさせます。事態をさらに発展させ挑発して、艦艇で相手国艦艇を撃滅、地上部隊を上陸させて実効支配を確立します。さらにコンクリート製建物などを建築、ゆるぎのない占拠を確立します。西沙諸島占拠のときは南ベトナム海軍を破ったことは10月5日付の記事で書きました。

   新南群島占領のときは統一後のベトナムが統治していた赤瓜礁で1988年3月14日、ベトナム側が先に発砲したとして艦砲射撃,ベトナムの揚陸艦など3隻を撃破しました。いわゆる赤瓜礁海戦(あかうりしょうかいせん)です。ベトナムが経済危機に陥った時期で国力が衰退していました。中国側は南海艦隊楡林基地(海南島)参謀長の陳偉文少将が,江南型フリゲイト南充(満載排水量1600t)を旗艦に直接指揮を取った、といわれています。偶発事件でなく意図的な挑発です。この戦闘で、ベトナム水兵70名以上が戦死。それ以降、赤瓜礁は、中国が占拠しています。

   尖閣諸島では「核心的利益」通告の段階は過ぎ、漁船団によるもめごとの段階まできてしまいました。海上自衛隊の勢力より中国海軍の力が上回っている現在、武力行使は当然、予想されるのです。日本政府はどう対応しようとしているのでしょう。南ベトナムや統一後のベトナムが中国にやられてしまった二の舞をするのでしょうか。それとも中国は竹島型の不意打ち占拠をするのでしょうか。

2010年10月8日金曜日

中国、新南群島にも進出

◆膨張国家 中国の怨念6

   中国が武力占拠している南シナ海の島々の一つに新南群島があります。別名南沙諸島(なんさしょとう)、スプラトリー諸島ともいい、南シナ海に浮かぶ約100の小さな島々からなっています。フィリピンから最も近く、ベトナム、カリマンタン島(マレーシア、ブルネイ)からほぼ等距離にあります。諸島全体は大変小さな島々で構成され、互いの距離は十数キロメートルから数十キロメートル程度で位置しています。一般の人が普通に居住できる環境ではなく、島そのものにはほとんど価値がありませんが、海洋・海底資源が見込めることから周辺各国が領有権を主張、分割占領の形が続いています。


   もともと仏領インドシナとしてインドシナ半島を植民地としていたフランスが1930年からいくつかの島々を実効支配していましたが、白人の進出を嫌った日本が1938年に領有を宣言し、以降太平洋戦争終結まで支配していました。行政区分は台湾の高雄市の一部としていました。日本はリン鉱石を採取、同諸島初の産業となり従事者が住んでいましたが戦火の拡大により昭和20年までに撤退しました。

   終戦後、連合国は日本に領有権放棄を強制。1951年のサンフランシスコ講和条約で日本はやむなく放棄を認めてしまいます。しかし、連合国側は帰属先を明確にしなかったため、同諸島にもっとも近いにフィリピンがそれに先立ち1949年、領有を宣言しました。これに対し1956年以降、南ベトナムがたびたび上陸。南ベトナム政府が1973年9月に同国フォクトイ省への編入を宣言しました。ところが1500キロも離れている中華人民共和国が翌年1月に抗議声明を出して領有権を主張。相次いで軍を上陸させるなど実効支配に乗り出し、現在、中華民国(台湾)、中華人民共和国(中国)、フィリピン、ベトナム、マレーシアが諸島を分割占領しています。実効支配はしていないもののブルネイも領有権を主張しています。

   問題は無人島だったこれらの島々を領有するのはどこが最も正当か、ということです。フィリピン、ベトナム、カリマンタンの遭難漁民が一時的に島に上陸したことは間違いありません。距離的にはフィリピンが約300キロと最も近く、ベトナム、カリマンタンは約500キロに存在します。台湾は日本の領土だったことから権利を主張する資格があるように見えますが、もともと同諸島を開発したのは日本人で、便宜的に高雄市の行政区分に入れたのに過ぎません。中国にいたっては漁民が漂着したことも無く、本土から約1500キロも離れています。同諸島への実績はなんらないのです。

    中国がこのように無茶ともいえる遠隔地の武力占拠に乗り出したのは1970年代後半に海底油田の存在が確認され、広大な排他的経済水域内の海底資源や漁業権の獲得出来るため、とは各国共通の見方です。また広大な地域に広がる島々は軍事的にも価値があります。紛争を拡大させないため中華人民共和国を含めたASEANでの会議で軍事介入はせず現状維持の取り決めが結ばれましたが、最近中華人民共和国の人民解放軍が建物を勝手に建設し、マレーシアなどから非難を浴びているのが現状です。

   中国の海への野心、海軍力増強とともにますます膨れ上がる気配が濃厚です。

   

2010年10月5日火曜日

海戦に勝利、西沙諸島を占拠

◆膨張国家、中国の怨念 その5


    「中国は社会主義国家だから基本的に領土的野心はない。中国を巡る地域紛争は中国を圧迫する西側諸国に対抗した中国の自衛措置だ」という方が今でもいらっしゃいます。社会主義国家は人民の国家だから領土的野心はない、というのです。とんでもない話です。現代中国は社会主義の悪い部分と資本主義の悪い部分を中華思想で合体させた国家だ、というのが真実でしょう。日本ではあまり報道されませんでしたが中華人民共和国が成立して以降、中国は侵略戦争を繰り返してきました。チベット、ウイグルがその代表例で、失敗しましたがベトナムや朝鮮にもその牙を向けました。

   今回は尖閣諸島がテーマなので、海洋における中国の侵略戦争を解説します。そのひとつに西沙諸島があります。中国・海南島とベトナム・ダナンを結ぶ線に三角定規の底辺をあて、その頂点となる南シナ海上にあるのが西沙諸島です。第一次インドシナ戦争後、中華人民共和国と南ベトナムが互いに領有権を主張して領土問題が生じていました。中国が西沙諸島の東部を、南ベトナムが珊瑚島などの西部(永楽群島)を実効支配していました。1971年当時の南ベトナムはベトナム戦争末期の追いつめられ弱体化した状況にありました。その隙を狙い中国政府は西沙諸島に艦隊を派遣し、多数の施設の建築を行って軍事的緊張が高まったのです。

   当時、アメリカ軍は南ベトナムから全面撤退し、わずかな軍事顧問が残る程度になっていました。南ベトナム海軍は、アメリカから供与された旧式艦を主体とし、護衛駆逐艦など比較的に大型の艦艇は保有していましたが、練度はいまひとつでした。

   対する中国側も文化大革命の混乱期ではあったものの、海軍の近代化が進みつつあり、小型艦艇の国産化を実現していました。このような状況下を利用し中国は1974年1月11日、西沙諸島全域が自国領土である旨の声明を発表したのです。

   この声明を受けた南ベトナム海軍は1月15日、哨戒艦「リ・トン・キェト」を西沙諸島に派遣しました。すると実効支配しているはずの永楽群島・甘泉島(ロバーツ島)に中国国旗が掲揚されており、沖に中国の大型漁船「402号」と「407号」が碇泊しているのを発見したのです。「リ・トン・キェト」は中国漁船に退去を命じ、陸上の中国国旗を狙って威嚇射撃を行いました。

   1月17日、中国と南ベトナム双方は増援部隊を現地に派遣しました。南ベトナム軍は、護衛駆逐艦「チェン・チン・ユー」と哨戒艦「チェン・ピン・チョン」に歩兵を乗せて派遣、甘泉島と金銀島に展開させまた。中国軍も、海南型駆潜艇「271号」「274号」に歩兵1個小隊ずつを乗せて送り、普卿島(ドイモン島)・深航島(ダンカン島)・広金島(パーム島)を占領。ほかにも艦艇や航空機を出動させたのです。

   まもなく両国海軍が激突、海戦により中国艦隊が南ベトナム軍艦1隻を撃沈し、南ベトナムが支配していた島嶼に部隊を上陸させて占領してしまいました。以後、中国が西沙諸島全域を実効支配しています。南ベトナムが共産系の北ベトナムに統合され、統一ベトナムとなってからも中国は領土交渉に応じようとしません。真の共産主義なら当然、ベトナムに返還するでしょう。

   悪しき共産主義国家、中国のやり方は相手が弱体化してきたときに一気に占領、以後、実効支配を続ける、というものです。尖閣諸島のある東シナ海の海上勢力は日本より中国が強いのです。2年後、中国が空母を手に入れた後、どうなるか分かったものではありません。


   <お断り>6,7日は広島出張です。執筆時間がとれません。申し訳ありませんが、お休みにさせてください。
              合掌  清雅坊

2010年10月4日月曜日

増強続く中国海軍

   護摩法要のため5日間もお休みをいただきまことにありがとうございました。神仏も護摩法要を喜んでくださっていると思います。ありがとうございました。

◆膨張国家、中国の怨念 その4

この5日間で尖閣諸島沖中国漁船衝突問題は大きく変化しました。国際社会の思わぬ反発から中国政府はスパイ容疑で逮捕していたフジタの社員4人のうち3人を釈放しました。フジタ社員の逮捕は時間的経過からみても中国漁船船長逮捕の報復措置としか考えられません。中国が軍事管理区域といっている河北省石家荘市の現地は空軍病院所在地といわれ、逮捕に価するような場所ではないのです。いわば「江戸の敵を長崎で討つ」の類なのです。

  今回の事件で中国側は韓国の竹島占領時と同じく強硬姿勢に出れば日本はへっこむ、という事実を改めて確認しました。次に来るのは中国海軍による尖閣諸島占拠です。強行実施しても日本は竹島の時と同じく自衛艦は出さないだろう、という確信を得たと思います。その背景に海軍勢力は今や中国海軍が海上自衛隊の戦力を上回りつつある、という自信があるからです。

   海上勢力でみますと次のようになります。

              中国      日本
駆逐艦、フリゲート艦   74隻     56隻
潜水艦          70隻     16隻
航空機         620機    200機
陸戦隊       24000人      0人


  どの部門をとっても中国海軍が日本海上自衛隊を上回ります。数年前までは中国海軍は数はともかく技術レベルは低い、といわれていました。しかし最近は052C型駆逐艦、051C型駆逐艦を自国建造するなど近代化が進んでいます。両タイプの駆逐艦は日本のイージス艦に近い性能を持ち、特に対艦性能はあなどれません。潜水艦では日本にない原子力潜水艦を8隻も所有、弾道ミサイル潜水艦もあります。また海兵隊に相当する海軍陸戦隊もあり。尖閣諸島占拠にはこの部隊が進出するだろう、と推測されています。

   錬度もめきめき上達、ソマリア沖の海賊船対策に派遣された中国海軍のミサイル駆逐艦は3ヶ月も無寄港作戦を展開、各国海軍をびっくりさせました。実戦に臨んでもミサイル駆逐艦「武漢」がギリシャの船舶を信号弾によって海賊から守るなど、その操艦能力は高く、情報収集能力も向上していると判断されています。2年後には航空母艦を配備する予定です。

   その一方で海上自衛隊は予算の削減が続き、潜水艦については昭和51年以来、1隻も増強されていません。乗組員も定数を割る艦が多く、実戦になったら果たして戦えるのか、と疑問符を突きつける関係者もいます。

   現代のミサイルによる海戦は「先に撃った方が勝ち」といわれています。政府が艦長にどう指示するかが鍵なのです。艦長に判断を任せるような曖昧な対応では艦長もミサイル発射の命を下しかねます。政府が艦長にこの場合はこう、と具体的指示を出すのが必要なのです。中国政府は思い切った指示を艦長に出すでしょう。それを上回るような具体的指示を出しておくのが政府の役目です。今の民主党政権でそれができるかどうか、ビデオの公開すらできぬ政府に尖閣諸島防衛は無理かもしれません。中国は沖縄に米軍がいるから積極的行動を控えているだけに過ぎないのです。