2010年10月31日日曜日

チベット人に熱湯をかける中共兵

◆膨張国家、中国の怨念 その21

   チベットが中共に占領されるとチベット人への弾圧が始まりました。当時、人口7万人のチベットの首都ラサに2万人以上の中共軍が進駐し、ラサ市民は住宅と食料の提供を強制され、食糧難と猛烈なインフレがラサを直撃しました。7万人の人が2万人もの兵隊の食料を供給できるわけがないのです。さらにチベットへの支配権を確立するためチベットと中国を結ぶ道路建設が始まり、大量のチベット人が無報酬で強制労働をさせられました。数千人の命が奪われました。また、中国共産党は占領と同時にチベットの青少年に、チベットの宗教、文化、習慣を侮辱し、共産党を賛美する教育を強制したのです。

   チベット人の不満が日増しに高まる中、ダライラマ法王は1954年、北京を訪問し、毛沢東、周恩来、劉少奇、朱徳ら中国首脳と会談しました。このとき中共はダライラマ法王にウソをつき、中国との協調がありうるような示唆をしました。だがその後にチベットでは、人類がかつて経験したことがないような悲劇が襲ったのです。「17条協定」は、名目上チベットの自治を認めてチベットの風俗伝統を尊重する事が確認されていましたが、実際に中共が行った事は、チベット民族文化への徹底的な破壊活動だったのです。中国共産党の悪政、度重なる条約違反にチベット人の怒りは頂点に達していました。中国に近い東チベットでは反乱が続発、これに対し中共軍は見せしめのため、何千という寺院や町を砲撃や爆撃で破壊、寺院の仏像や経典を容赦なく略奪したのです。東チベットのいたるところで中共軍による虐殺が行われました。
そのときの模様を『中国はいかにチベットを侵略したか』(マイケル・ダナム著 講談社インターナショナル)から引用します。

  「妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はそのうえに小便をかけるように命じられた。さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と中共兵に嘲られ、挙句に全員射殺された。おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。
 貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていったりした。経典類はトイレットペーパーにされた。僧院は馬や豚小屋にされるか、リタン僧院のように跡形もなく破壊されてしまった。リタン省長は村人の見守る中で拷問され、射殺された。何千人もの村民は強制労働に駆り出されそのまま行方不明になっていった。僧院長たちは自分の糞便をむりやり食わされ、「仏陀はどうしたんだ?」と中共兵に嘲られた」。

  ヒットラーとは別の次元の人類史上、かつてない残虐さを中共軍は示したのです。

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