2010年10月30日土曜日

有史以来一貫して独立国だったチベット 

   ◆膨張国家、中国の怨念 その20

   それではチベット史をひもといていきます。

   チベットには約2100年の歴史があるといわれていますが、日本や中国と同じく最初の数百年は神話と史実の境界が曖昧なので、チベットの歴史はソンツェン・ガンポが仏教に基礎をおく王国を築き、文献がきちんと残っている7世紀が有史開始と考えられます。中国では唐王朝が栄えた時代です。その唐王朝をなんとチベットは西暦763年に征服、唐の首都長安を占領し、一時的に唐はチベットの朝貢国になったのです。その後、唐は西にチベットを追い払い、朝貢国を脱しました。

     その後、中国西部から中央アジアにかけては諸民族が興亡し流転を繰り返しましたが、チベット族は自らの支配地域を守り続けました。チベットでは17世紀にダライラマ制度がスタートし、それ以来ダライラマは転生を繰り返して現在では14世に至っています。中国では満州人による清が成立すると清は1727年にチベットの首都ラサに駐蔵大臣2人を置き、現代でいう大使館を開設しました。これをもって現・中国政府はチベットが清の支配下に入った、と主張しますが、大使館を置いた国が中国領土となるなら、世界はすべて中国領土ということになり、文字通り噴飯物です。その後、チベットは英領インドと国境条約を結ぶなど一貫して独立国家として主権を行使してきました。20世紀前半当時、チベットは日本、中国、タイと並んで欧米の植民地化を免れたアジアでも数少ない独立国家のひとつであったのです。

   第2次世界大戦ではイギリス、中華民国がチベットに日本に対し宣戦布告するよう強く求めましたが、チベットはこれを拒否、中立を通しました。日本にとって真に信頼できる国でもあったわけです。

◆中国共産党軍がチベット侵略

   第2次世界大戦終了後、中国本土を制圧した中共軍(中華人民共和国軍、中国人民解放軍)は 1950年10月7日、突如、チベット東部へと侵略戦争を開始しました。チベット国境警備隊と現地の義勇軍が抵抗したものの、武器・人員ともに圧倒的な中共軍を相手に一部部隊は全滅、退却を余儀なくされました。その当時、中共軍は100万の軍勢を誇る一方で、チベット軍は貧弱な装備の8500人に過ぎません。最初から軍事力による勝敗は見えていました。翌年5月、チベットから北京に代表2人が派遣されました。2人はは交渉に赴いただけで、全権大使の資格はなかったにもかかわらず、中共の脅迫により強引に署名させられてしまいました。こうして1951年5月23日、チベットの平和解放に関する十七か条協定が締結されたのです。もちろんこの協定は法的に無効ですが、中共はこれをよりどころにチベットに圧制をひきます。

0 件のコメント:

コメントを投稿