2010年10月12日火曜日

中華思想、密かに称揚

◆膨張国家、中国の怨念 その10

   儒教、なかんずく朱子学が近代中国をダメにした理由、それは社会の進歩を拒否する思想だからです。儒教といっても時代により、国により、思想家により変化しており、一口に申し上げるほど単純ではありません。いえることは天子(皇帝)、官僚、民がそれぞれ徳を持つならば国家はうまく治まり、天下泰平となる、という考えです。

   それ自体はすばらしい思想なのですが、天下を固定的なものと考え、身分、階級を犯してはならぬ、とします。男尊女卑で重農主義です。商業は悪徳として否定。これをまともに受けた江戸時代の学者・幕閣は「商は詐なり」として流通業を弾圧しました。こうした中では新しい考え方、特に科学技術については医薬を別して進歩するはずがありません。

   対外的には海禁と称して清、明とも貿易を制限しましたし、日本は鎖国をしました。海外との切磋琢磨がなければ国家としての進歩はなく、時代に大きく取り残されていきます。おまけに儒教は中華思想とも大きく重なってきますから「外国文明は野蛮」という意識が常にともないます。ますます唯我独尊に陥ってしまうわけです。

   対内的には「徳をもって統治する」ことになっていますが、何が徳なのかは誰も知りません。「徳、非徳の薄霞」という言葉がありますが、徳の解釈は万人みな異なります。官僚は自分の得になることしかしませんから結果的に圧政が日常化し、民は苦しんで暴動がおきます。

   圧政が行くところまで行きますと天は天子に徳がないと判断し、別の人を天子に立てる、と中国人は考えます。これを易姓革命といいます。隋、唐、梁、宋と中国王朝が変わっていったのも易姓革命です。変な話ですが、中国には中華民国が成立するまで、国という意識はありませんでした。国とは蛮族が持っている統治範囲で、中国は天下の中心、すなわち天下国家だから国ではない、というのです。これでは他国は中国と自国を区別できませんから朝廷名で中国を代表させるしかなかったのです。

   進歩を拒否した結果、近世になって南蛮諸国(欧米列強)に大きく立ち遅れてしまいました。特に軍事面での差が大きく、南蛮が鉄製蒸気船に螺旋線条式元込め砲を装備していたのに対し、清はジャンク(木造帆船)に球形砲弾先込め砲しか持っていませんでした。火薬そのものは中国の発明であるにもかかわらず、儒教の妨げで進歩がなかったのです。

   共産中国は清が敗退した理由を良く知っていました。しかも基本的考え方は共産主義ですから科学技術は積極的に取り入れてきました。しかし中華思想だけはすっぽり身にまとってしまたのです。歴史家は「中国が発展するときは中華思想は後退し、衰退するときは重視される」といいます。唐の時代は国力がおおいに充実していましたから、辺境人を高官に登用するなど中華思想は後退しました。しかし明のように国難が続いた時代は中華思想が幅をきかせていました。

   現代中国は世界第2位の経済大国になりつつあるなど表面的には大国になっています。しかしその実体は日本や西欧などから援助を受ける後進国なのです。富める者と富まざる者との経済格差は天文学的数字になりつつあり、内部矛盾は暴動寸前といっていい状態です。内部矛盾を抑えるため中華思想が密かに称揚されるのは当然といえましょう。尖閣諸島沖の漁船衝突事故が中国政府とって外交カードとせざるを得なくなっているのもその当たりに理由がありそうです。 


   <お願い>毎週水曜日は清雅坊が終日、作務に忙殺される日です。あす13日は出稿できません。お休みとさせてください。なお来週以降も同じです。今後、水曜日は休刊とさせてください。勝手なお願いですが、ご了解ください。

                合掌   清雅坊 

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