2010年10月10日日曜日

華夷秩序を周辺国に押し付け

◆膨張国家、中国の怨念 その8

「膨張国家、中国の怨念 その1」で今回の事件の底流をなす中華思想について触れましたが、事態の急変にともない、中華思想解説が中断してしまいました。今回は改めて中華思想について書きたいと思います。

  中華思想は中国の中原(中央)にある天子がすべての中心で、天子が統括する官僚群、その文化、思想が世界の中心であり、人民、周辺国はすべてこれに従わなければならない、という中国中心主義の思想です。世界で最も偉いのが天子(皇帝)であり、その次が内臣(官僚)、その次が外臣(民)、続いて朝貢国、その外に東夷、南蛮など野蛮国がある、という構図です。我が日本などは東夷そのもので、朝鮮は朝貢国という形になります。

  この体制を華夷(かい)秩序と呼びます。華夷秩序とは「中華」と「夷狄(いてき)」の間に取り結ばれる関係で、中国から見た「野蛮民族統治秩序」と目されるものなのです。中華帝国を中心とした華夷秩序は、中華皇帝と周辺国の国王の君臣関係を軸とした統治理念であり、各国国王は中華皇帝の臣なのです。要するに「外交関係」ではありません。現代のような国家関係にあるのでなく、中華皇帝の領土の一部を治めさせていただくのが国王なのです。皇帝の臣下に国王があるのです。

  現代風に書けば国王とは皇帝が任命した「原住民」の「総督」ということになります。総督と皇帝の体制は「冊封」関係と呼ばれ、各国の王は皇帝に「承認」されて、はじめて「正式な王」となる事が出来た、ということなのです。それも簡単には王にはなれません。皇帝に承認された王になるにはまず「臣従」(家来として仕えること)し、中国の制度を「採用」することが必要です。さらに皇帝へ定期的に使節を派遣し、貢ぎ物を捧げる「朝貢」を毎年することが必要となります。

  この体制に従ってきたのが朝鮮であり、「無視」し続けてきたのが日本だったのです。共産中国が成立して以来、何回も中国と交戦してきたベトナムは冊封されたり独立したりの繰り返しでした。北狄と呼ばれた蒙古(モンゴル)、満州(清、女真)は逆に中華帝国を奪い、元、清を建国、自ら中華帝国となりました。冊封体制を拒否し続けてきたウイグル、チベットは共産中国が成立後、侵略され、独立を奪われました。中華思想の偉大な実践者、それが共産中国なのです。

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