2010年10月5日火曜日

海戦に勝利、西沙諸島を占拠

◆膨張国家、中国の怨念 その5


    「中国は社会主義国家だから基本的に領土的野心はない。中国を巡る地域紛争は中国を圧迫する西側諸国に対抗した中国の自衛措置だ」という方が今でもいらっしゃいます。社会主義国家は人民の国家だから領土的野心はない、というのです。とんでもない話です。現代中国は社会主義の悪い部分と資本主義の悪い部分を中華思想で合体させた国家だ、というのが真実でしょう。日本ではあまり報道されませんでしたが中華人民共和国が成立して以降、中国は侵略戦争を繰り返してきました。チベット、ウイグルがその代表例で、失敗しましたがベトナムや朝鮮にもその牙を向けました。

   今回は尖閣諸島がテーマなので、海洋における中国の侵略戦争を解説します。そのひとつに西沙諸島があります。中国・海南島とベトナム・ダナンを結ぶ線に三角定規の底辺をあて、その頂点となる南シナ海上にあるのが西沙諸島です。第一次インドシナ戦争後、中華人民共和国と南ベトナムが互いに領有権を主張して領土問題が生じていました。中国が西沙諸島の東部を、南ベトナムが珊瑚島などの西部(永楽群島)を実効支配していました。1971年当時の南ベトナムはベトナム戦争末期の追いつめられ弱体化した状況にありました。その隙を狙い中国政府は西沙諸島に艦隊を派遣し、多数の施設の建築を行って軍事的緊張が高まったのです。

   当時、アメリカ軍は南ベトナムから全面撤退し、わずかな軍事顧問が残る程度になっていました。南ベトナム海軍は、アメリカから供与された旧式艦を主体とし、護衛駆逐艦など比較的に大型の艦艇は保有していましたが、練度はいまひとつでした。

   対する中国側も文化大革命の混乱期ではあったものの、海軍の近代化が進みつつあり、小型艦艇の国産化を実現していました。このような状況下を利用し中国は1974年1月11日、西沙諸島全域が自国領土である旨の声明を発表したのです。

   この声明を受けた南ベトナム海軍は1月15日、哨戒艦「リ・トン・キェト」を西沙諸島に派遣しました。すると実効支配しているはずの永楽群島・甘泉島(ロバーツ島)に中国国旗が掲揚されており、沖に中国の大型漁船「402号」と「407号」が碇泊しているのを発見したのです。「リ・トン・キェト」は中国漁船に退去を命じ、陸上の中国国旗を狙って威嚇射撃を行いました。

   1月17日、中国と南ベトナム双方は増援部隊を現地に派遣しました。南ベトナム軍は、護衛駆逐艦「チェン・チン・ユー」と哨戒艦「チェン・ピン・チョン」に歩兵を乗せて派遣、甘泉島と金銀島に展開させまた。中国軍も、海南型駆潜艇「271号」「274号」に歩兵1個小隊ずつを乗せて送り、普卿島(ドイモン島)・深航島(ダンカン島)・広金島(パーム島)を占領。ほかにも艦艇や航空機を出動させたのです。

   まもなく両国海軍が激突、海戦により中国艦隊が南ベトナム軍艦1隻を撃沈し、南ベトナムが支配していた島嶼に部隊を上陸させて占領してしまいました。以後、中国が西沙諸島全域を実効支配しています。南ベトナムが共産系の北ベトナムに統合され、統一ベトナムとなってからも中国は領土交渉に応じようとしません。真の共産主義なら当然、ベトナムに返還するでしょう。

   悪しき共産主義国家、中国のやり方は相手が弱体化してきたときに一気に占領、以後、実効支配を続ける、というものです。尖閣諸島のある東シナ海の海上勢力は日本より中国が強いのです。2年後、中国が空母を手に入れた後、どうなるか分かったものではありません。


   <お断り>6,7日は広島出張です。執筆時間がとれません。申し訳ありませんが、お休みにさせてください。
              合掌  清雅坊

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