2010年5月12日水曜日

大噴火で縄文文化に断絶

 ◆稲作始まる

 南方系縄文人の文化はさらに発展、7500年前には壺型土器を作る技術も持っていました。鹿児島県の上野原遺跡から出土したのです。壺型土器は他に用途が考えられないことから、これは穀物を栽培していたことの証拠だといわれています。稲、ヒエ、ハト麦などの穀物を壺型土器に蓄えたとみられているのです。つまり鹿児島では、7500年前から陸稲をつくっていた可能性があるのです。 稲栽培は弥生時代から、といわれていましたが、縄文時代、すでに栽培された、と現代の考古学は推測しています。

 ◆鬼界カルデラ大噴火
 そこに大破局がきました。6300年前ごろ、鹿児島県南方の薩摩竹島と薩摩硫黄島を陸上のカルデラ縁の一部とする鬼界カルデラが破局的大噴火、火砕流は海を渡って100km離れた九州南部にまで達しました.急速水冷による大量の火山灰(アカホヤ)は西日本を覆いました.南九州は全滅状態となり、多くの住居址がこのとき埋まりました。縄文文化に断絶が生じた可能性が指摘されています.もちろん四国・紀伊半島・関東に移住した人々の一部は生き残り、北方系の縄文人と混血しながら現在の日本人の基層を作り上げてきたといえるでしょう。縄文人が北、東日本に多く、西日本に少ないのは次に来る弥生人の影響もありますが、この破局的大噴火が一因ともいえます。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿