2010年5月29日土曜日

犬を食べる弥生人

 ◆集落同士で戦争

 縄文人が犬といっしょに幸せな日々を送っていた縄文末期、黄海、東シナ海,対馬海峡を越えて一群の人々が九州に上陸しました。いわゆる弥生人です。弥生人は水稲を日本列島に持ち込むと同時に犬も連れてきました。現在では弥生犬と呼ばれています。

 弥生犬はやや大型で脚も長く、彫りの深い顔つきだったようです。ところが、その犬は縄紋犬と違って猟犬ではなかったのです。なんと食用の家畜として飼われていました。弥生時代の遺跡で見つかる犬の骨は、バラバラになったものが多いのです。中には解体の痕跡が残っているものもあります。埋葬もほとんどされなくなりました。狩猟民には貴重な存在であった犬も、農耕民にとっては食用犬としてしか役に立たなかったののでしょうか。

 食用の家畜としては、犬のほかに豚も持ち込まれたのですが、豚の飼育はいつのまにかされなくなりました。犬は食用以外に番犬役もあったとみられ、その意味で存在感があったのでしょう。弥生の集落は互いに敵対し、環濠や高地性集落(高いところに集落を設け、敵の侵入を防ぐ)を設けるなど緊張感が高かったため、犬は警報役として尊重されたようです。食用家畜を飼育する文化は、その後日本にはあまり根づかず、後になって鶏が飼われた程度です。


 弥生人と共にやって来た犬は、やがて縄紋犬と交配しました。縄文犬の色合いを濃く残しているのが柴犬、北海道犬、琉球犬のどちらかというと小型犬で、紀州犬、秋田犬、甲斐犬、四国犬のようにやや大型犬は弥生犬の遺伝子が強い、とみられています。

 それにしても犬を食う弥生人はなんとなくいやですね。それも縄文人を追っ払っただけでなく、集落同士が戦争するなんて縄文の良き伝統を破壊してしまいました。縄文人が知らなかった槍、剣、刀などの武器を弥生人は持っていたのです。

 <お断り>30日(日)は岡山へ出張します。残念ながら当ブログはお休みさせてください。

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