2010年5月19日水曜日

多様性豊かな縄文時代

  ◆平和な平等社会

 話は三内丸山に帰ります。同遺跡では成人の墓約100基、小児用の墓約880基が見つかっています。集落のそばにきちんとと配列されたこれらの墓地は、全く大小の区別なく、副葬品もみな同じでした。ここから縄文社会が階級差のあまりない、基本的には平等主義の共同体社会であったといえます。巨大な建物も、王や貴族の家ではなく、宗教的儀礼や共同の作業場、食料貯蔵庫など社会全体の持ち物だったと推定されてます。

さらに、縄文時代には、狩用の鏃(やじり)はあっても槍、刀など人殺しの武器は出土していません。縄文時代は戦争のない平和な平等社会であったのです。どういうことかと言うと、縄文時代というのは多様性が特徴です。食料にしても何か単一のものに縛られていません。三内丸山では栗を栽培していたけど、ヒエ、アワ、ドングリ、イノシシ、鹿、カモシカ、ウサギ、ムササビ、サケ、 ニシン、イワシ、アジなどがが、主食や副食として利用されていました。出土しませんが当然、山菜や野菜、キノコ類もふんだんに食べられていたはずです。弥生の米みたいに栗だけに縛られていたわけではなかったのです。この多様性がアワがだめならイノシシ、イノシシがなければサケ、と逃げ道を作り、人々が争うことを避けえたのです。

 三内丸山遺跡が充実期を迎えた今から5千年前、同じ時期のメソポタミアやエジプトでは、すでに王が出現し、人民を搾取して、王宮,城砦など巨大な建物を造って富めるものと貧しいものが生まれていました。階級社会が誕生していたのです。周辺国と土地や富をめぐって戦争が絶えませんでした。日本の縄文文化とは著しい対照となっています。あなたはどちらが好ましい、とお考えですか。

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