2010年5月17日月曜日

環境変化に次々対応

◆定住して栗を栽培

 縄文というと、かつては移動しながらの狩猟採集生活していたと思われていたのですけれど、実際は定住して栗を栽培していました。青森県・三内丸山の縄文集落は1000年ぐらい続いたといわれていますが、遺跡の周辺には、栗林が広がり、縄文人は栗を主食の一種としていました。栗が人工的に栽培されていた可能性も指摘されています。さらに遺跡からは大量のヒスイが出土しました。ヒスイの原産地は中部日本の糸魚川流域でした。ヒスイと栗の交換貿易を行っていたらしいのです。それどころか日本列島各地と広く交易まで行っていたようです。行き来は日本海や太平洋を丸木舟でしていました。その三内丸山の集落は、今から4000年前、もう一回地球が寒冷化したとき、栗が採れなくなって潰えてしまいます。住民たちは南下していったのではないかとみる人もいます。
 寒冷化に応じて、縄文人は寒さに強いトチの実に主食を切り替えていきました。埼玉県の川口市の赤山陣屋跡遺跡では、流水を利用した大規模なトチの実の灰汁抜き施設が発掘されています。つまりトチを食料とするための技術革新があったのです。

 ◆環境に適した効率的な食システム

 ヒエも利用されていました。穀類であるヒエは狭い面積で多くの収量が期待でき、栄養価が優れ、貯蔵が簡単で、主食として優れた食品です。実際にヒエは日本では近世まで非稲作地帯の主要穀類であったのです。世界のヒエの分布から見て、ヒエ栽培は日本が起源地であるという説もあります。
縄文人たちは野生の果実を集めて、酒造りも行っていたことが確実視しされています。果実が発酵していた事を示す昆虫化石が発見されたのです。さらに年間を通じてとれる貝類、季節的に押し寄せるサケ、 ニシン、イワシ、アジが、主食や副食として利用されていました。肉類では、ウサギ、ムササビなどの小動物を食べていました。現代人に勝るとも劣らない幅広い食生活を楽しんでいました。

 まとめて申しますと縄文人は、栗やトチ、ヒエを主食とし、これに水産資源や小動物を幅広く食べていました。季節の変化をよく理解し、身の回りの多様な動植物を最大限に利用する効率的な食のシステムを作りあげていたのです。自然環境の変化に常に対応し技術革新をしていたのですね。

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