2010年5月18日火曜日

平和な平等社会

.◆貝塚は貝のお墓

本州の一部の縄文遺跡では、捕獲されたイノシシや鹿、カモシカなどの大型動物の骨も見つかっていますが、そうした動物では幼獣の骨が極めて少ないのが特徴です。また、鹿やイノシシの歯の分析では、冬の季節にしか捕獲されていない事が分かっています。それらの大型獣が絶滅しないよう、他の食物の少ない冬に限定し、成獣だけを捕っていたのです。そこに共に生きる自然への配慮が窺われます。

それだけではありません。昔の考古学では貝塚とは、単に貝の捨て場と考えていましたが、 最近では「貝のお墓」だという説が生まれました。貝塚の貝は丁寧に並べられて、盛り土をされており、どう見てもゴミ捨て場とは見えないのです。貝がふたたび豊かな身をつけて、この世に戻ってくるようにとの願いを込めて、貝の霊を丁重にあの世に送る場所が貝塚なんです。三内丸山遺跡で見つかった土器塚も、土器をあの世に送り返す場所であったそうです。

縄文人の精神の根底には、すべてのものに生命が宿り、それがあの世とこの世を循環しているという世界観がありました。


 ◆共生と循環の文明
 これについて環境考古学者・安田喜憲氏は次のように述べておられます。。
 縄文文化が自然との調和の中で、高度の土器文化を発
展させ、一万年以上にわたって一つの文化を維持しえた
ことは、驚異というほかはない。縄文文化が日本列島で
花開いた頃、ユーラシア大陸では、黄河文明、インダス
文明、メソポタミア文明、エジプト文明、長江文明など、
農耕に基盤を置く古代文明がはなばなしく展開していた。

 東アジアの一小列島に開花した縄文文化は、こうした
古代文明のような輝きはなかった。しかし、これらの古
代文明は強烈な階級支配の文明であり、自然からの一方
的略奪を根底に持つ農耕と大型家畜を生産の基盤とし、
ついには自らの文明を支えた母なる大地ともいうべき森
を食いつぶし、滅亡の一途をたどっていく。

 それに対し、日本の縄文文化は、たえず自然の再生を
ベースとし、森を完全に破壊することなく、次代の文明
を可容する余力を大地に残して、弥生時代にバトンタッ
チした。それは共生と循環の文明の原点だった。


1万年の間、縄文人はこの列島の中で、共生と循環の世界観のもとで、豊かで、平和な平等社会を営んできたのです。それはユーラシア大陸に発生した「自然収奪型文明」とは、まるで性格の異なる「自然循環型文明」の基盤たったのです。地球資源を急速に食いつぶし、1年で4万種もの生物種を絶滅させている現代の人間にとってそれは眩しいばかりの光を放っている時代だったと思われてなりません。

1 件のコメント:

  1. ごめんなさい。著者です。安田喜憲氏の引用文をコピーし掲載したところ、段落や空白部分がめちゃくちゃになってしまいました。私の技術が低いためです。勉強していきますので、勘弁してください。

            合掌
                      清雅坊

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