2010年5月14日金曜日

間宮、宗谷海峡の誕生

 ◆縄文を育てた対馬暖流

 このように日本列島で縄文文化が花開いたのは、実は日本海に対馬暖流が流れ込むようになったことが一番の契機だったのです。8000年前以前は暖流は太平洋側にしか流れていなかったのです。ところが1万年前ぐらい前から地球温暖化が始まり、海面上昇によって,間宮海峡、宗谷海峡が誕生、津軽海峡が深くなって黒潮の分流が日本海に流れ込むようになったのです。二つの暖流に囲まれた日本列島は、温暖で湿潤な気候に変わり今のような四季が生まれたのです。落葉広葉樹林帯や照葉樹林帯が日本列島を覆い、ドングリやクリを採集できるようになりました。それ以前の日本列島はもっと寒冷化、乾燥していて、草原が広がっていました。だからナウマン象など大型獣が生息できたのですね。それが暖流が日本海に入ったおかげで、今に残る白神山地のような豊かな落葉樹林帯が生まれたわけです。それが縄文人の定住を可能にしました。

 ◆豊かな自然を育てた雪

 冬になると大陸から西よりの冷たい季節風が吹いてきます。季節風は日本海を越える時に,暖かい対馬暖流から蒸発した水分を吸収して湿った風になります。この湿った風が中国山地から東北までの脊梁山脈にぶつかって上昇し、冷やされて雪となります。それで富山や新潟には一冬の雪としては世界的な降雪量となるドカ雪がふります。雪が何をもたらすのかといえば水です。山間部に積もった雪は春まで溶けず、「自然のダム」の機能をはたしています。この雪は春から初夏にかけゆっくり溶け、伏流水となって日本列島を湿潤な風土に変えました。

 世界遺産になった白神山地のブナ林も、冬場の大量の降雪によって育まれたものです。その後、日本列島各地で水田耕作が可能になったのも、豊富な雪溶け水に依存している面が大きいといえます。つまりクリやドングリの採集生活であれ水田稲作であれ、8000年前に日本海に暖流が入ったおかげだと言っていいのです。 縄文の地球温暖化には感謝したいですね。

0 件のコメント:

コメントを投稿