2010年8月2日月曜日

侵略を誇る巨大な彫像

 ◆戦後、植民地を返さかったソ連 その4

   ロシアのシベリア遠征がロシア人にとっていかに誇らしいものであるかはハバロフスクの街を歩くと一目瞭然。街には遠征者の巨大な彫像があり、公共施設には肖像画が飾られています。アムール河畔の公園にはアムール以東を清から奪い取ったムラヴィヨフ・アムールスキーの巨像が中国に向かって立てられ、シベリア鉄道のハバロフスク駅にはコサック隊長のエロフエイ・ハバロフ像が街を見下ろしています。アムールスキーの像は街の中心部にあるレーニン像より巨大であることが印象的です。その分、シベリア遠征にかけるロシア人の意気込みを感じました。レーニンよりもアムールスキーの方がここでは偉大なのです。アムールスキーの肖像画は私が訪れたレストランにも飾ってありまた。ロシア人にとってシベリア征服は当然のことで、そこにあった諸汗国やタタール、モンゴル、女真、ナナイなど先住民族への配慮はまったく感じられません。

  ◇街中心部は白人のみ◇

   ロシアでは人種差別はない、といいながらハバロフスク中心部ではアジア系の人々の姿はまったくといっていいほど見受けられませんでした。街の重要部分を白人であるロシア人が占拠している感じで、ボーイなど比較的給与が低い職種も白人が占めていました。タタールなどアジア系諸民族は街の外に追い払われているのでしょうか?

  その白人ばかりの街には主だったところにミグ27、機種は不明ですが大型ヘリコプター、T34戦車など戦中戦後の兵器が飾ってありました。軍事博物館に行くと満州侵攻に使ったと思われる各種重砲や戦車が中庭にずらり。それらを除いて街中では軍事色はあまり感じられませんでしたが、極東軍管区本部が置かれている街でもあり、民間空港ですら写真禁止となっていました。

  ロシア人の極東制覇の意識は非常に高いものがあります。日本海の軍港都市ウラジオストックの意味はロシア語で「東を征服せよ」。時流に合わせて街の名前を変えるのが好きなロシア人はこの街の名前だけは変えようとしません。軍港都市ということを考えると東とはもちろん日本のことです。

  ◇占拠し続ける植民地◇

  さてそのロシア・ソ連はこうして得たシベリアという植民地を第2次世界大戦後、アジア人に返えしませんでした。敗戦国の日独伊をはじめ戦勝国の米英仏蘭がアジア、アフリカからすべて撤退したにも関わらずにです。それどころか日本から奪った南樺太、千島諸島、歯舞色丹に居座り続けています。さいわいソ連軍がいったん占領した満州、北朝鮮はそれぞれの地に共産党政権が誕生したことから撤退しました。ただ日本が現地に営々と築き上げた鉄鋼、機械などの基幹生産設備は根こそぎソ連に持ち帰り、現地共産党政権には渡しませんでした。現地共産党政権には持ち去ることができない炭鉱、鉱山、社会的インフラと個人資産を引き渡したのです。個々のソ連兵士は日本人住宅に銃を構えて侵入、時計、宝石、お金、毛皮製品など個人財産を強盗同然に奪い去りました。それらへの補償はまったくありません。

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