2010年8月5日木曜日

原住民に国境自由通行権を

  ◆戦後、植民地を返さかったソ連 その7

   ロシアはモンゴル国に対してはモンゴル族から奪ったブリヤート共和国とその周辺地域を返還すべきでしょう。また中国に働きかけて内モンゴル自治区をモンゴル国に統一、合併するよう外交交渉を開始すべきです。ただ現在ではブリヤート共和国はモンゴル系諸族よりロシア人の方が人口が多くなってしまい、単純に返還することは不可能です。また内モンゴルについても中国政府の漢族移住政策のため、モンゴル人17%に対し漢族が80%以上を占めているのが現状です。


  これに対し一案としてモンゴル人、ダウール族、エヴェンキ族、オロチョン族、回族・満洲人など原住民にはモンゴル国、内モンゴル自治区、ブリヤート共和国の各国境間自由通行権、自由貿易権を与え、経済的基盤を保証することはどうでしょう。原住民以外にはもちろんこの権利は与えません。中国自身も内モンゴルをモンゴル族から奪った経緯があり、ロシアと同等の原住民優遇策を講じることが必要なのです。これには3国政府と関係住民の協議が必要です。そしてモンゴルに圧制を強いたことをわびるモニュメントをウランバードル市内、ブリヤート共和国、内モンゴルに建設するのが民族和解の本筋となるでしょう。

  ◇狩猟、漁労の独占権を


  またロシアはシベリア原住民に対しては狩猟、漁労の独占権を与え、ロシア人が行っている森林伐採、鉱山採掘について一定割合で補償金を支払うのです。高等教育機関の原住民入学枠を設定し、無料で進学を可能とします。さらに自治体の名誉的な長を実権のない一種の名誉職として先住民族から選ぶのです。名誉的な長の名称は王であってもいいし、汗でもいいし、現地の実情に合わせればいいのです。そして本物の共和国大統領、州知事、各級議会議長、各級裁判所裁判長などの任命式を執り行う権限を与えるのです。


   このようにすればロシアに対するアジア諸民族からの怨念も薄れます。それが第2次世界大戦後にシベリアから撤退しなかったロシアのせめてもの詫び状となるのです。もちろん、以上のことは簡単には実現不可能です。アメリカだって先住民族のインディアンに補償らしきものをしていませんし、おわびもしていません。でもアジア人としてこれらのことをロシアに要求し続けるべきなのですj。そしてそれに対し少しでも誠意を見せるのがロシア人としての努めではないのでしょうか。


   以上、ロシア人に対して厳しいことを書きましたが、実は私自身はロシアびいきなのです。高校2年生の夏休み、学校図書館から借りたドストエフスキーの「罪と罰」をひと夏かかって読みおえました。よく分からぬながらもロシア人の根太さと人への愛、神への思いを知りましたし、熱中した学生演劇ではスタニスラフスキーに傾倒。北村和夫が演ずるチェホフの「桜の園」ではその重厚さに圧倒されました。学生時代には歌声喫茶に流れる「モスクワ郊外の夕べ」「ステンカラージン」などロシア民謡の虜にもなっていました。


  そういう私だからこそロシアが対日参戦を反省し、アジアから奪ったものはアジアに返す努力をして欲しいと思うのです。中国など関係諸国、アジア諸民族とも現状を肯定するのでなく、アイデンティティに目覚めようではないですか。ロシアへの要求運動が国境を越えた高まりとなることを期待します。

                                      この稿終わり

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