2010年6月9日水曜日

古代の出雲大社は96m?

 ◆描いた大壷を発見

 読者の皆様はこんなニュースを聞かれたり読まれたことはあるでしょうか?

 「出雲大社は古代96m(32丈)の高さがあったという社伝がある」。NHK、読売新聞、山陰中央新報など報道各社が約10年ほど前、流しました。しかし古代において約100mもの建造物が建築できたのでしょうか? 第一、そんな高さができる材木が手に入るわけはありません。関係者は「古代人の妄想だろう」で片付けてしまいました。

 ところが発掘作業で1248年に造営された当時の出雲大社神殿が巨大な3本の杉柱を束ねた柱根で出来ていることが発見され、見直し作業が始まりました。束ねた柱根の見かけ上の直径は3mにもなります。これは巨大なものです。

これをもとに建設会社大林組の福山敏男氏らが設計した結果、この工法で48m(18丈)までなら建築可能との判断がでました。この復元模型や復元図面では、神殿は高床式建物で屋根と柱の比率は1:2以下です。高さ96mの神殿の場合、その比率は1:5になるだろうと学者、建築家は考えていました。

ところがです。妻木晩田遺跡の西側に弥生中期の稲吉角田(いなよしすみた)遺跡があります。角田遺跡から6種類の絵画が描かれた大型の壷が出土しています。その中に階段か梯子を掛けたやぐらのような高い建物が描かれたものがあります。この建物は高床倉庫とされてきましたが、建物の屋根と柱の比率は1:5であり、単なる高床倉庫とは言えない異常な高さです。さて「48m説(18丈説)」に立った出雲大社復元模型に稲吉角田遺跡の1:5を当てはめると、なんと高さは96m(32丈)となります。

そうするとあながち出雲大社が96mあった、という説を否定できなくなります。学者や専門家の間にこの壷の高床式建物は出雲大社を描いたという説が出るのも当然です。

問題は90mもの材木があったか、ということです。樹高をみると、世界最高はカリフォルニアの「コースト・レッドウッド」で111.4m、日本では、高知県長岡郡大豊町の杉が68m、山形県寒河江市の光明寺のケヤキが60m、静岡県榛原郡金谷町の楠が50mで最高です。材木の条件からは「48m説(18丈説)」は十分に成り立ちますが、「96m説(32丈説)」となるといくら森林資源の豊かな弥生時代でも無理かもしれません。しかし、日本書紀の仁徳記と播磨国風土記には、「その樹の影、朝日にあたれば、淡路島に及び、夕日にあたれば、高安山を超えき」という高樹(楠)があり、この樹を切って枯野という舟を作ったと記されています。オーバーな表現を抜きにして考えても古代には「96m(32丈)」の建築材が手に入った可能性はあります。

また継ぎ足しで90m級の柱を作った可能性も捨て切れません。古代人は材木の性質については三内円山遺跡の例でも見られるとおり現代人よりはるかに詳しかったはずです。3本の杉柱を束ねた柱根を作ったように強度を下げることなく継ぎ足した超巨大な柱を作ったかもしれません。前回は戦争をした弥生人は嫌い、と書きましたが、こんな超文明を持っていたとなるとすごい民族ですね。研究が進むことを期待しています。

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