2010年6月15日火曜日

力と闘争の文明

 ◆畑作牧畜で砂漠化  

  紀元前2~3000年ごろに興った世界四大文明、時として華麗な文化として紹介されます。しかし実体はどうだったのでしょう。彼らは畑作牧畜を生業とし、自然を切り開く「力と闘争の文明」の民でした。そして自ら滅び、この地球から緑と水を奪い取って砂漠化してしまったのです。四大文明のうち辛うじて黄河文明だけが長江文明を吸収することで現在まで文明の流れを絶やさずにすみました。残り三大文明は現代とは文化、人種の断絶があり、残ったのは砂漠と荒野なのです。砂漠の多くは自然が造ったものでなく、牧畜畑作民族が造ったといえます。このあたりのことはなぜか学校教育では伏せられています。

  四大文明の基本的な展開をみてみましょう。石器時代の終わりごろ、チグリス・ユーフラテス、ナイル、インダス、黄河の巨大河川流域で放牧と畑作が始まりました。当時はどの地域とも豊かな森林に覆われ、うっそうとした森は渓流や泉を生み、多くの動植物を育ててきました。今は砂漠になっているアフリカ北部や砂漠が広がる北アメリカも同じで、地球は緑の星だったのです。ところが放牧が始まると家畜たちはまず下草を食べ、木々の芽を食べ、さらに苗木の葉を食べ、低木も食い散らしました。特に山羊は急傾斜地でも駆け上って樹木を食べたのです。この結果、表土がむき出しになり、そこに雨が降ると表土を押し流して岩山が露出、荒地にしてしまいました。長年の間に緑の覆いのない岩石、荒地は風化作用で砂漠となります。

 また畑作でも同じことが起きました。森林を切り開いて畑としたのはいいのですが、畑は水田と違って傾斜地でも農耕できます。傾斜地に雨が降ると表土を押し流し、平坦な部分の肥沃な土をも川に押し流していきます。これが何百年、何千年も続くと露出した岩石は風化作用で砂漠になっていきました。

 ◆過度に森林を伐採

 過度の伐採も森林を失う原因になりました。レバノン国旗にも描かれているレバノン杉に例をとりますと、古代においてはレバノン杉が中近東一帯を広く覆っていましたが、古代エジプトやメソポタミヤのころから建材や船材に利用され、フェニキア人はこの木を伐ってガレー船を建造して地中海に進出、さらに木材・樹脂として地中海各国に輸出しました。また中近東で興亡した各民族はともにレバノン杉を軍艦や都市づくりに利用し、豊かな森は消滅。現在ではカディーシャ渓谷にわずかに残存するだけとなっています。消滅したあとは砂漠や荒野が広がっています。「力と闘争の文明」の民は自然を収奪するのみで、日本人のように植林することをしなかったのです。

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