2010年6月14日月曜日

初歩的な階級社会の出現

 ◆稲作共同体は比較的平等

 「再生と循環の文明」であったにも関わらず長江文明の都市になぜ城壁があったのでしょう。水田は優れた農業生産性を持ちます。100人の集落があったたして狩猟採集の時代には赤ちゃんを除く全員が狩猟採集に出向かねば集落の機能は維持できませんでした。ところが水田ではたとえば80人が働けば集落は維持されます。そうすると残り20人は商工業など他の仕事に従事できます。同時に稲作に必要な水路は中国・江南地方では網の目状に数百キロ、時として数千キロに及びますから、多数の集落が関係してきます。その全体を統括したり、水路を管理する人、また豊作を祈る祭祀を司る階級も必要となってきました。全体の集落を支配する人も必要なわけです。当然、支配者は水争いが起きれば武力を使ってでもまとめなければなりません。いわば初歩的な階級社会が出来上がるのです。そうした人たちや商工民たちは都市に住んだのです。同時に人間の性としてより収量の高い水田を欲しくなります。また新田開発の地をめぐって周辺地域と摩擦も生じたのでしょう。こうしたことから他の集落、都市と抗争が始まり、環濠や城壁が必要となったのです。

しかし水田は複雑で手間がかかります。苗代をつくって苗を育て、水田に植え替えが必要です。水田の水を管理し、田の草も取らなければなりません。稲刈り、脱穀と高度な技術と熟練を要するので、奴隷は存在しません。共同体の中での助け合いを必要とします。身分の分化は牧畜畑作社会ほどには進まなかったと思われます。

◆奴隷制の四大文明

 長江文明がそのような穏やかな稲作文明を持っていたのに対し、エジプトなど他の四大文明は牧畜畑作をしていました。牧畜は家畜の性質さえ分かれば下層牧民で対応できます。羊飼いはどの国でも無学な最下層の人たちです。小麦や大麦は、極端に言えば、畑に種をまいておけば、あとはたいした手間をかけずに育っていきます。そのような単純労働は奴隷にさせます、支配者は都市に住んで、牧民や奴隷の管理をするという階級分化がうまれました。都市は交易と消費の中心となります。当然さらなる富が欲しくなり他の都市、地域と抗争します。当然、武力が生まれ専門の将兵を蓄えることになります。支配者の中から王権が出現し、より階層化が進みました。

奴隷は奪い取った土地の民を当てれば十分でした。ユダヤの民がエジプトの奴隷となり、モーセが出エジプトでこれらの奴隷をカナンの地に脱出させる話は有名ですね。穏やかだった長江文明と奴隷制の上に成り立っていた4大文明。どちらが人間的だったか読者の評価におまかせします。

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