2010年6月10日木曜日

弥生人、150万人が九州へ

 ◆何派にも分かれ

 私が感じる弥生の2大エポック、集落同士(クニ同士?)の戦争と巨大建造物の存在(推定)を書きましたが、いつ弥生人が日本列島にどれくらいやってきたのか、このことが分からぬと話は進みません。

 最初に弥生人が九州に姿を現したのは縄文末期の紀元前3世紀のころでした。その当時の縄文人は寒冷化の影響を受け人口が減少、最盛期の人口の約28%、約7万5000人程度と推定されています。そこへ中国大陸から押し寄せてきたのが弥生人です。東京大学の人類学者埴原和郎氏によりますと弥生時代約600年間に150万人の渡来者があったと推定されています。これは人口増加率を0.2パーセントで計算した場合で、人口増加率を0.4パーセントと最大限の高率に見積ったとしても、9万4000人もの人々が押し寄せてきまいた。

 7万5000人対150万人では勝負になりません。日本人の表層が弥生系で占められるのは当然です。もちろん1度に来たわけでなく、600年間の間に何派にも別れ大集団から少数集団まで数限りなく来たのでしょう。弥生文化の成立時には、在来の縄紋人を上回る大量の人々が渡来したのです。彼らはシベリアから来た縄文人より体が大きく、一気に列島を北上し、弥生末期には濃尾平野あたりで拮抗したとみられています。九州を南下した弥生人は鹿児島付近でとどまり沖縄方面には行っていません。沖縄は南方系縄文人の血筋が色濃く残りました。北海道も北方系縄文人の遺伝子を受け継ぐアイヌが先住民族として残りました。

 弥生系の人々と先住民である縄文系の人々とは、敵対したり共存したりしながら次第に融合、混血し、今の日本人になっていったのです。弥生時代は約600年間続き、4世紀には古墳時代へと進みます。縄文の1万年と比べ弥生の600年は比較にならないほど短いですね。歴史時代の1700年を加えても2300年。縄文の共生時代のすごさを改めて感じます。

1 件のコメント:

  1. 「くらしの手帳」最新号に縄文人と弥生人の顔の違いが出てました。

        浩太郎

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