2010年6月12日土曜日

弥生時代、中国は戦国の世

 ◆秦が中国を統一

弥生時代の600年間は中国が大きく変革した時代でもあります。弥生時代のはじめのころに当たる中国の「春秋戦国」時代には鉄器が本格的に普及し、耕地の開拓が進み人口も爆発的に増加しました。そうした富を争う背景が諸国が相争う戦国の時代を招いたとも言えます。こうした中国の動きは弥生時代の日本列島にも大きな影響を与えたました。

 弥生時代が始まった紀元前3世紀ごろ、中国大陸は韓、趙、魏、楚、燕、斉、秦などが覇権を狙い相互に戦っていました。このなかで紀元前230年になって西域色の濃い秦が頭角を現して韓を滅ぼし、続いて各国を滅ぼし、最後に紀元前221年に斉を滅ぼして中国史上初の統一王朝が誕生しました。そして、史上初の「皇帝」に即位した秦の始皇帝は、中央集権・法治主義の国づくりを強力に推し進めましたが、始皇帝の死後、秦帝国は各地の抵抗・反乱にあい滅亡します。この秦の発音が後のチャイナ、支那の語源になります。支那は差別用語では決してないのです。中国の国名を代表する言葉と言っていいでしょう。秦の滅亡後、劉邦によって建てられた前漢が中国をまとめました。前漢は弥生時代の中ごろに当たります。

 前漢は紀元8年に王莽に皇位を奪われ「新」が建国されますが、紀元23年には後漢によって倒され、紀元220年まで後漢が中国を支配しました。後漢の滅亡後は、魏・呉・蜀が並びたつ三国時代となります。倭の女王卑弥呼が魏へ使者を送ったのもこのころです。卑弥呼は弥生時代だったのですね。三国が争う中で新たに建てられた西晋が280年に再び中国を統一しました。日本列島でもこのころ、弥生時代から古墳時代へと時代が移行していきます。

 この相次ぐ戦火を逃れた人たちが、安住の地を求めて九州にやって来たことが、弥生人のスタートと考えられます。ちなみに、揚子江河口の浙江省あたりの漁猟民は江戸、明治のころ嵐や潮の流れで九州にたびたび流されて来たといいます。極端に困難な旅というわけではなかったのでしょう。

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