2010年6月21日月曜日

南島語の母系は長江人?

  侵攻してきた漢民族に追われ、長江最下流の長江の民たちが船に乗って台湾に逃げ、台湾の原住民「高砂族」になったことは「漢民族、長江を侵略」の稿で書きました。しかし台湾には紀元前3500年くらい前から人が住み着いた形跡が各地の遺跡で見つかっています。長江の民が台湾にたどり着いたのはいくら早くても紀元前2200年ですからそれ以前に先住民がいたのは確かです。しかしその前に先住民がフィリピン方面など南方に移住した形跡もあり、実体はよく分かっていません。

  もし先住民が残っていれば混血が行われ原台湾人を形作っていたことでしょう。ちょうど弥生人と縄文人が混血して日本人となり、苗族と先住民族が混血して百越(ひゃくえつ)が誕生したようにです。
その台湾原住民「高砂族」は近年まで入れ墨の習慣を持っていました。顔面や体に入れ墨を彫るのです。日本の弥生時代を描いた魏志倭人伝にも倭人は入れ墨の習慣があったと記されていました。長江の南側、江南(こうなん)地方にも古代は入れ墨の風習があったそうです。同じ系統の民族であることを示していますね。
また明治から昭和にかけて東アジアの人類学調査で先駆的な業績を残した鳥居竜蔵氏は、実地調査から台湾の先住民族・生番族(後の高砂族)と雲南省
の苗族が同じ祖先を持つ同根の民族であるという仮説を発表しています。当時はDAN鑑定などの手法はなかった時代ですが「観察」という手法でその本質を見抜いたのです。音楽も台湾原住民と雲南や貴州などの民族と共通するものがあり、根の部分の関連性が指摘されています。

  民族学者の岡正雄氏や考古学者の江上波夫氏は、長江流域に勢力を持っていた越や呉(3世紀ごろ)の言語がオーストロネシア語(南島語)であったと推測しています。実は台湾原住民が使っている言葉はオーストロネシア語なのです。言語学者のブラストや先史学者であるベルウッドは、「台湾あたりにオーストロネシア語族の最も古い祖語があり、それが南方に広がってフィリピンあたりでオセアニア系とインドネシア系に二分された」と主張しています。

つまり言語学的にみると台湾から南方系人類が広がった、とも考えられるのです。そのオーストロネシア語はまた日本語との関連が強いのです。日本語の母音の強い音韻体系はオーストロネシア語族との類似性が高く、一部の単語のオーストロネシア起源も指摘されています。

つまり整理して考えますとオーストロネシア語の母型は長江人にあり、それが分かれて日本、台湾、江南の言葉に影響した、と考えられるのです。いまのところ苗族の使用言語がオーストロネシア語の範ちゅうに入るのかどうかが分かっていません。早く調査の手が入るのが望まれますね。苗族も共産中国の指令で急速に漢族同化の措置が取られているそうですから。明日はこの台湾原住民が中国・台湾関係に決定的衝撃力を持っている、といお話を書きます。この件が中国、台湾に素直に受け入れられたらアジア情勢は根本的転換を遂げます。ご期待ください。

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