2010年6月20日日曜日

苗族を圧迫

 ◆共産中国も中華思想

 漢民族のさらなる南下によって長江の民、苗族は次第に雲南省などの奥地に追いつめられていきました。漢民族の圧迫により苗族は今では中国の少数民族となってしまいました。その村を訪れると高床式の倉庫が立ち並び、まるで日本の弥生時代にタイムスリップしたような風景だそうです。倉庫に上がる木の階段は、弥生時代の登呂遺跡と同じとの報告もあります。水田耕作を山岳地でも続けるために、急勾配の山地に棚田を作っているのも日本と同じです。稲作への執着心が強いのも日本人と同じですね。

 苗族が住む雲南省と日本の間では、従来から多くの文化的共通点が指摘されていました。味噌、醤油、なれ寿司などの発酵食品を食べ、漆の食器を作り、衣服の原料は絹です。主なタンパク源は魚であり、日本の長良川の鵜飼いとそっくりの鵜を使った漁が行われているそうです。

   以前にも書きました鳥取県の角田遺跡は弥生時代中期のものです。そこから出土した大壷には96m級神殿を描いたと思われる絵が描かれていることは出雲大社の項で書きました。その壷には羽根飾りをつけた数人の漕ぎ手が漕いでいる船の絵も描かれています。それとそっくりの船の絵が描かれた青銅器が、同時代の雲南省の遺跡から出土しているそうです。たぶん苗族のご先祖が製作したのでしょう。日本人とのつながりを感じさせますね。
 
 ◆日本と同じ生活習慣

  その苗族を漢民族はなぜかいつも圧迫し続けました。「川に落ちた犬には石を投げろ」というあの敗者に対する徹底した迫害姿勢がその原因でしょう。苗族は最初、広東省、福建省など中国南部に逃げた、と思われます。あそこなら南船北馬のことわざ通り河川がたくさんあり、稲作には最適な所でした。でも漢民族は苗族が定着することを許さなかったのです。苗族に対して寛容な王朝はほとんどありませんでした。結局、雲南省の山岳地帯、という苗族にとってもっとも不得手なところに押しやられたのです。

 共産中国になってもその姿勢は変わりませんでした。苗族に与えられた戸籍は他の少数民族と同じ農村戸籍です。この戸籍では都会地には住めません。したがって収入は最下層に属します。学校、病院、道路などインフラもほとんど与えられません。収入がないので多くの貧しい苗族は医者に行くこともなく、家で死んでしまうのが現実です。手許に資料がないので具体的数字は申し上げられませんが、大学進学率は各民族間では最下位に属します。それだけ冷遇されているのです。

  漢民族には古くから周辺民族に対する根強い優越感があり、“優れた”文化を持っている自分たちが他民族を征服し、同化するのが異民族に対する基本姿勢とされてきました。いわゆる「中華思想」です。特に漢民族中心の秩序から離脱しようとする民族やグループがあれば、中華の文化的優越感を否定するとみなし、本格的に征服にかかります。共産中国が成立した後、チベットやウイグルに侵攻し植民地支配したのも中華思想が基本理念になっているからです。そんな中で苗族に漢民族並み権利を与える発想は出てこないでしょう。それに対し日本の左翼陣営は見てみ見ぬふりをしているのはいかがなものでしょうか。

  長江人という共通した祖先を持つ日本人としてやりきれぬ話です。

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