2010年7月9日金曜日

階級が発生

  ◆富を求め争う

  持てる者と持たざる者が明確に分けられだした時、弥生人の心の中に「富が欲しい」という、心理学で言う強い表面意識が誕生しました。それは次第に潜在意識、深層意識に広がり、その後の行動の原動力となったのです。心理学的にはそれ以前に「味を知る」という行動原理が生まれていました。当時の米は一応、水稲と陸稲に分かれていたとはいえ、今のように系統選別された品種ではなく、いろいろな遺伝子を持った雑多な稲が同時に植えられていました。1枚の水田でも、おいしい米も採れれば、まずい米もありました。権力を握った者とその一族は当然、このおいしい米を優先的に味わったのです。

  米だけではありません。たとえば1頭のイノシシが獲れた、とします。縄文時代なら狩人が最もおいしいところを食べ、あとは集落全員に平等に配られました。村長(むらおさ)といえども単純に配分を受けただけです。ところが弥生では首長にもっともおいしいところが献上され、次に集落の幹部が確保し、下戸(平民)である狩人には駄賃程度の肉しか渡らなかったのです。味を知ったことによる権力の専横です。これは雑穀、野菜、果物などすべての食物にいえました。生口(奴隷)については想像するだけで十分でしょう。

   水田という生産性の高い食糧生産機構の誕生により、生み出された余剰労働力で始まったのが工人です。当初は木製のスキ、クワ製造でしたが、朝鮮半島より金属具導入で、鍛冶職が誕生しました。鍛冶は腕前で大きく品質に差が付きます。もっとも上等な作品を確保したのが大人といわれるごく一部の支配層です。玉や貝殻加工品、衣類もそうでした。中下級品を下戸が取り、奴隷は生存に必要な最低限のものしか与えられませんでした。

  住居にしてもそうです。妻木晩田遺跡でみると平民の居住地区は竪穴住居と掘建柱建物各3~4棟の単位によって構成された単純なものです。ところが最高所に位置する松尾頭地区では、祭殿や首長の住居と推定される立派で大きな建物跡が確認されています。平民の竪穴住居とは雲泥の差の建物です。

余剰労働力は交易商人も生みました。クニの間を行き来し、それぞれのクニの特産品を別にクニに運び、利益を得たのです。貝による貨幣が使われた可能性もあります。首長やクニの支配層は当然、これらの財物を手に入れました。
 こうして富を手にする者、そこそこの生活をする者、生死ぎりぎりの生活をする者に分かれていきました。そうした社会環境の中では富、権力への強い憧れと、それを満たされぬ屈折した思いなどが人々の意識の潜在部分に溜まっていきました。

  弥生の初期は最初にその地域を開墾した人が指導者でしたが、時代が進むにつれ、これらの富や土地を武力、戦闘によって勝ち取って行った人たちが支配権を握ります。富を産む土地を実力で奪い取った支配層が地域を動かすのです。美化はされていますが古事記を読むとその辺りの背景がよく分かります。人々を動かしたもの、それは富への執着心でした。他人を殺し他国をほろぼしても富を手に入れる、まさに戦争の心です。良く言えばそれは向上心につながるのです。
この向上心が人類を大きく飛躍させたのです。たまたま戦争だけを取り上げましたが技術の開発、統治のノウハウ、哲学の樹立などみなこの向上心が背景にあります。弥生と同時に各文明誕生の地では良い意味でも悪い意味でもこの向上心が生まれました。この向上心を良い方向に導いていくのが本稿の目的の一つです。
平和な縄文の時代は約1万年続きましたが、一部にはこの向上心は感じられますが、飢えから人々を救う段階にまでは至りませんでした。弥生は戦争、階級性という犠牲を伴いながらも飢えを克服しました。どちらが良いかは読者の皆様の判断に委ねます。

0 件のコメント:

コメントを投稿