2010年7月29日木曜日

怨念の町 ハバロフスク

    
   ◆戦後、植民地を返さかったソ連 その1


  「シベリア抑留」「満州最北端から釜山まで大撤退行」はいかがだったでしょうか。ソ連、ロシアという国がいかに日本に対し無慈悲で悪辣な行為をしてきたかがよく分かったと思います。この無慈悲さは日本だけでなく、中国、モンゴルをはじめシベリア先住民族に対しても同じようなことをしてきました。ロシア人の頭の中にはアジア人は猿と同じである、という考えが根付いているようです。

  ではそのロシア人がアジア人の土地であるはずの日本海対岸に住んでいるのか、その対岸も北海道・積丹半島からみればたった350キロしか離れていません。東京を基準して考えると東京・琵琶湖間という短さです。なぜそんなところに白人であるロシア人がいるのか、これについては記者の知る限り誰も問題提起せず、疑問符も投げかけておりません。ロシア人は昔から対岸に住んでいた、という感覚です。くどいようですがシベリアはアジア人の土地で、白人であるロシア人はヨーロッパが本来の居住地です。この異常さが近代アジアの発展に大きな矛盾を与えたのです。

  ◇アジアを侵略したロシア人◇

  ロシア人がなぜ対岸にいるのか、当たり前の話ですが、ロシアがアジアを侵略したからなのです。侵略し、植民地にしてしまいました。ところで第2次世界大戦参戦国は終戦後、戦勝国、敗戦国のいずれを問わず植民地から撤退。植民地は独立したのに対し、ロシアのみが殖民地を手放さなかったのです。なぜロシアのみが植民地を維持し続けるのか、それを解明するのが本稿の目的です。これが理解できれば立派な国際派日本人といえるでしょう。

  すこし昔になりますが記者は2007年7月上旬、4日間の日程でロシア・ハバロフスク市を訪問しました。シベリア抑留日本兵犠牲者の墓参と犠牲者の解脱供養法要参拝が目的だったのですが、ロシア・ソ連のシベリア侵略の実態をわずかながらも垣間見ることができました。

  ハバロフスクは東経135度の子午線上にあり、ちょうど兵庫県明石市の真北に当たります。ウラジオストックと並ぶシベリア最大の町で、人口約60万人。極東連邦管区が置かれ、軍事的には極東軍管区本部があります。いわばロシア連邦の極東支配の中心都市で、一時は軍管区が海軍である太平洋艦隊をも管轄していたこともあります。それだけ重要な都市といえます。第2次世界大戦末期の対日侵攻には総司令部的な役割を果たしました。終戦後は満州、北朝鮮、樺太、千島、歯舞色丹から集めた日本人軍人と民間人捕虜の集結地となり、ここからソ連全土に送り出して強制労働につかせました。極寒、飢え、重労働により日本人捕虜は次々死亡。さらに侵攻による戦死者、行方不明者、暴行され自決した女性などを含めれば日本人約32万人が死亡したといわれます。日本人にとっていわば怨念の町なのです。

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