2010年7月24日土曜日

破られた日ソ不可侵条約

◆シベリア抑留 その8

  ソ連は参戦時から大きな国際法規違反を犯しました。日本とソ連は日ソ不可侵条約(日ソ中立条約)を結んでおり、相互に戦争はしない約束だったのです。この条約があったからこそソ連は対独戦に専念でき、日本は対米英戦に踏み切れました。この条約の自動延長を行わないとソ連側から廃棄通告してきたのが、対独戦に目鼻がつきだした終戦4ヶ月前の4月5日。在モスクワの佐藤尚武駐ソ大使は条約の規定に「廃棄通告は期間満了の一年前」と記されてあるので、この点をモロトフ外相に質すと「条約の失効は一年後のことになる。ソ連の中立義務に変化はない」と答えました。ソ連は一年間の中立義務を自ら認めているのです。

  それを無視して満州の広野にソ連軍が侵攻してきたのは、昭和20年8月9日午前零時。その一時間前にソ連は宣戦布告を佐藤大使に通告しましたが、佐藤大使からの至急電報はなぜか外務省には届かす、日本首脳は9日になってから同盟通信の配信でやっとソ連の参戦を知ったのです。在京のソ連大使は何ら日本政府に通告しませんでした。もちろん関東軍は完全な不意打ちをくらったわけで、ソ連が奇襲攻撃を成功させるため電報の妨害工作をしたのでは、という見方が現在では確定的です。ソ連はどこまでも卑劣な国家ですね。
  
  ◇行方不明者54万人余

  アメリカの圧力もありソ連は昭和21年暮れに抑留者の日本送還に同意、同12月19日に締結された「日本人引揚に関する米ソ協定」によって開始された抑留者の送還は、昭和22年に本格化しました。昭和25年4月22日にソ連側から47万1000人の送還をもって完了したと発表されました。実際には昭和31年12月26日に最後の引揚者1025人が帰国しました。引揚者の総数は47万3000人余りとなり、厚生労働省のいう死亡者約6万人を除いてもまだ54万人余もの人が行方不明者となっています。

  日本政府はソ連の後継国であるロシアに対し▽国家としての正式な謝罪▽抑留者への賃金支払い▽死没者への補償▽個人財産の補償▽行方不明者の実態調査―を強く求めるべきだと思います。ロシアは石油、天然ガス資源を十分持っており、これを担保にすれば、支払い能力は十分にあります。これらを実現してこそ祖国に帰りたいと思いながら死んでいった抑留者への真の供養になるはずです。両国政府の真摯な対応を心から望みます。

                    シベリア抑留 終わり

0 件のコメント:

コメントを投稿