2010年7月26日月曜日

ソ連軍と撃ち合いながら南下

  ◆満州最北端から釜山まで大撤退行 その2

  ◇甲種合格、戦車兵に◇

  そうした良き時代は戦争の深刻化により長くは続きませんでした。郷里の役場兵事係からは徴兵検査を受けるよう連絡がありましたが、外地勤務を理由に帰国しなかったところ、現地の軍から兵隊検査の通知があり現役で甲種合格。第1志望は海軍でしたが昭和18年1月10日に陸軍に現役兵として入隊しました。ところが検査を受けた192人のうち1人だけ満州国ハルピン(白系ロシア人が多く住む大都会)の関東軍戦車部隊(満州第366部隊)入隊となったのです。入隊後3ヶ月間は新兵訓練で氷点下38度にもなる極寒のなか演習が続きました。それでも日曜日には希望者には外出が許可され、息抜きもできました。そうこうするうちにマラリアにかかり、牡丹江の陸軍病院に入院、2週間の闘病生活後、長春(新京)の戦車部隊に転属となります。

  ◇突然、ソ連が侵攻◇

  部隊が旧ソ連との国境の黒龍江省克東県付近で演習中の昭和20年8月9日、突然、ソ連軍が侵攻し交戦状態となりまた。ソ連軍は85ミリ砲を装備した最新鋭のT34 戦車を中心にした大軍団なのに対し、岩本さんの隊は57ミリ砲または47ミリ砲装備の9 7式中戦車主体のたった4両。撃ち合っては犬死となるため中隊長の指示により部隊はただちに撤退を開始、南下してハルピンまで戻ったのです。途中,昇平満蒙開拓団(大阪出身の人が多い)の女性、子供、老人約200人を収容、さらに軍自動車廠と交渉しトラック40台を得ました。中隊長は「お前たちは全員、日本に帰す」と訓示し、階級章をはずさせました。中隊長は掌握していた約190人の兵を車に乗せてさらに南下。車には燃料、日本紙幣、食料、塩、酒、甘味料が満載されており、夜間は照明を落としての強行軍が続きました。時折、ソ連軍と撃ち合いながらの南下です。

  ◇中隊長が丸腰交渉◇

  最初の大きな危機が訪れたのは通化省通化に入ったとき。通化には八路軍(共産軍)が終結している、との情報が入りました。約200人程度いるという情報です。中隊長は「交戦は犬死するだけだから俺に任せておけ」といって丸腰で単身、八路軍と交渉。車3台と引き換えに無事、通過に成功しました。南下途中、点在する日本人部落は崩壊し、略奪の嵐に吹き荒れていました。女性は皆、丸坊主になって男性を偽装。赤ちゃんを抱き、床下に隠れるなどして難を逃れた女性もいました。しかし部屋においていた貴重な日本刀などは奪い去された、といいます。内地から徴集された軍馬が飼い主もなくさ迷っている姿が散見され、あわれを誘いました。撤退行は次第に条件が悪くなってきます。

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