2010年7月23日金曜日

明白な国際法違反

◆シベリア抑留 その7


 いかに占領軍であろうと一般民間人を自国に連行して強制労働させる権利は国際法上存在せず、ソ連の行為はまったく許されるものではないのです。特に相手国が降伏している以上、民間人は保護し相手国に早期に送還するのが国際法の精神といえるものです。

  ◇労働力確保が目的

  ソ連が日本人を強制労働につかせた理由は労働力確保にあったことが、ソ連崩壊後の公文書公開で明らかになりました。これはドイツ系将兵に対しても同じでした。対独戦勝利後のソ連は働き手の多くを戦死させ、国土は荒廃していました。労働力がいくらあっても足りぬ現状にありました。そこでスターリンの命令によって敗戦国日本とドイツ系の将兵、民間人を強制労働につかせたのです。日本だけでなく200万人ともそれ以上ともいわれるドイツ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、フィンランド、ポーランド、さらに大戦初期に併合されたバルト三国からも捕虜がシベリアに送り込まれていました。このほかソ連国内で反体制分子と疑われた人物や、共産党内の権力抗争に敗れた者なども混じっていました。

  ◇労働者農民兵虐待の共産国家

  もちろん賃金などはびた一文支払われませんでした。しかしこれはポツダム宣言の「日本国軍隊は、完全に武装解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし」をはじめ、人道的扱いと労働賃金の支払を明示したヘーグ(ハーグ)陸戦条約、1949年ジュネーブ条約に明確に違反しています。いくら労働力が不足しているといっても、戦後の強制労働は言い訳にはなりません。共産主義を標榜しながら大半は農民、労働者出身の捕虜を虐待したその罪は永遠に消えません。ソ連は真実の共産主義国家ではありませんでした。民族主義、官僚主義国家の色彩が強かったのです。前線のソ連将兵に対しソ連軍指導部は士気を高めるため「日露戦争敗北のうらみをはらせ」とけしかけたのです。この結果、降伏した日本軍を攻撃するという前代未聞の事態が各地で生じました。

  ソ連以外の第2次世界大戦戦勝国は米英、中国とも日本兵捕虜、民間人を船舶が手配でき次第、早期に帰しています。大戦終了後,国共内戦に入った中国では困難な事情があったにもかかわらず中共軍(現・中華人民共和国軍)は自軍兵士よりいい食事を日本兵捕虜に与えていたし、国府軍(現・中華民国軍)は蒋介石総統が「怨みを報いるに恩をもってせよ」と布告を出し、早期帰国をうながしました。

  ◇米英、労働証明書を発行

  南方から帰還した元捕虜には、米英発行の労働証明書に基づき抑留中の労働に対する賃金が大蔵省より支払われています。ソ連だけが捕虜を最高十年間もただで奴隷のように酷使し、労働証明書も発行していません。国際法上、捕虜として抑留された国で働いた賃金は、帰国時に証明書を持ち帰れば、その捕虜の所属国が支払うことになっています。日本政府は、南方地域で米英の捕虜になった日本兵に対しては、個人計算カード(労働証明書)にもとづき賃金を支払いました。しかし、ソ連は抑留者に労働証明書を発行せず、日本政府はそれを理由に賃金を支払いませんでした。1992年以後、ロシア政府はやっと労働証明書を発行するようになったそうですが、日本政府はいまだに賃金支払を行っていません。

  今年6月、ソ連により過酷な労働に従事させられた日本人抑留者に特別給付金を支給する特別措置法が国会で成立してしましたが、この労働証明書との関係が明確でありません。ロシアが発行しているという労働証明書も1992年以前に働いている人も対象になるのか、現地死没者、帰国後死没者はどうなるのか、労働証明書は抑留者全員に自動発行されるのか、申請者に限られるのか、抑留者、抑留者家族には一切伝えられていません。日露両政府の親身になった対応が必要とされます。

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