2010年7月14日水曜日

一つ屋根の下の大家族

 ◆国家成立、平和な詔

  異民族同士がぶつかりあっても比較的穏やか血縁関係が生じ、一つの民族として結合していった日本人。世界史の中では稀有の存在といえるでしょう。

 縄文人は陸地で陸稲を育てていました。弥生人は水辺で水稲を育んでいました。縄文人は森で狩猟採集の経済を営んでいました。弥生人は森を水源と考え尊んできました。縄文人は潜るなどして海から食物を得ていました。弥生人は漁労民族でもありました。両者に共通しているのは自然との共生でしたが、システムは少しづつ違いました。競合関係にありましたが、互いに理解できる範囲内でした。両者とも「再生と循環の文明」を持っていたのです。

  アメリカでの鉄砲を持って森を切り開くピューリタンと弓矢しか持たない森の民インディアンとの敵対関係とは大違いでした。圧倒的に強い力を持つピューリタンはインディアンをだまし、インディアンを虐殺して支配地域を広げていったのです。そこでは混血も文化尊重もありませんでした。

  日本人はなぜかピューリタンを迫害を受けたキリスト教徒と捉え、神の前では人類皆平等のよき思想を持った人たち、と捉(とら)えていますが、実際は武力を背景にした差別主義者でした。というよりインディアンを人間として認めていなかったのです。人間の形をした動物、と捉えていたのです。

  その点、縄文人と弥生人は同じモンゴリアンで、足りぬところを補完できる関係を持っていました。比較的すんなり混血が進んだのです。両者ともに自然との共生を原則とする「再生と循環の文明」の民だったのです。


    人々がみな幸せに仲良く暮らせるように努めよう。天地四方、
八紘(あめのした=天の下)に住むものすべてが、一つ屋根
の下の大家族のように仲よく暮らそうではないか。なんと、
楽しくうれしいことだろうか。



 地元民のイスケヨリ姫を后に迎えた神武天皇が即位された時の詔(みことのり、宣言、宣布)です。なんと平和な宣言でしょう。わが国が国家として始まったときの宣言なのです。よその国で他民族を征服して新国家を成立させたとき、被支配民族を含めて「一つ屋根の下、仲良く暮らしましょう」なんて宣言した国家があったでしょうか。かろうじて満州国が誕生したとき五族協和を宣言したことがあるくらいです。あの宣言も神武天皇の詔が参考になったのかもしれませんね。

  神武天皇を架空の人物とみる向きもあります。私もその説に一理あると思います。しかし神武天皇の伝承はその時代の状況を反映したもので、あのような詔が出る背景があったと思います。日本という国がスタートを切ったとき、平和を願う詔で出発できたことを誇りに思います。

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