2010年7月10日土曜日

鳥を尊とんだ弥生人

 ◆太陽を運ぶ鳥

  先日、ある高僧のご法話を聞いていましたら次のようなことをおっしゃっていました。「中国文明の二大象徴は龍と鳳凰(ほうおう)である。龍は北部の麦作地帯の象徴で、鳳凰は南部の稲作地帯の象徴だった。仏教では釈尊を守ったのが二大龍王といわれており、日本にはまさに龍の姿で伝わってきている。しかしインドではコブラみたいなもので、中国の翻訳者(ほんやくしゃ)はコブラなど見たことがなく龍と訳してしまった」。

  渡来系弥生人は長江付近から東シナ海を渡って日本にやってきました。当然、その守護神は鳳凰だったわけで、古事記の伝承にみられるとおり鳥の伝説を弥生人は豊富にもっていました。鳳凰はもともと鶏から発展したものらしく、姿かたちもよく似ていますね。弥生人たちは家畜として犬とイノシシ、鶏を連れてきました。犬とイノシシは食料としていたことが確認されています。ところが鶏は食用にした確かな証拠がありません。卵は食べていた可能性はありますが、よく分かっていません。時を告げる動物として神聖視されていただけではなかったのです。

  犬でさえ食べる弥生人がなぜ鶏肉を食べなかったのか。それは太陽信仰と大きな関係があります。種籾(たねもみ)をまき、苗床を作り、田植えをし、刈り取りをする、という、複雑な農作業をしなければならない水田稲作民にとって、太陽の運行は季節を知る基本でした。同時に太陽は稲を育てる原動力でもありました。太陽信仰が生まれたのも当然でしょう。

  その聖なる太陽を運んでくれるのが鳥だったのです。太陽は朝に生まれて、夕方に没し、翌朝に再び蘇ります。太陽の永遠の再生と循環を手助けするものこそ鳥だと水田稲作民は感じとったのです。

 この「感覚」は日本神話にストレートに反映されました。まず皇室の祖神である天照大神は日の神、すなわち太陽神そのものでした。その子孫の案内役を果たしたのが鳥なのです。記紀によりますと神武天皇東征のとき、熊野から大和に入る険路の先導となったのが天から下された「八咫烏(やたがらす)」という大烏で、神武天皇は無事、大和にたどり着きます。日本サッカー協会のシンボルマークとしてもよく知られていますね。

  太陽神を祭る神社には必ず、鳥居があります。今では鳥居の意味がよく分かっていませんが、文字通り鳥居で鳥が留まるところと考えてもいいでしょう。古代は集落の入り口に置かれていたという説もあります。今でも雲南省の苗族の集落入り口には鳥居がある、という報告もあるそうです。水田稲作民の国境を越えた幅を感じさせます。

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